いまやっと新田次郎の”小説に書けなかった自伝”を
読み終えました。
新田次郎さんは明治45年大正元年我が父と同じ年に
長野県上諏訪町大字上諏訪角間新田に生まれ父・藤原
彦さんの次男寛人でペンネームは新田村の次男坊から
新田次郎とつけたらしい。
昭和14年から18年まで中央気象台に勤務
諸輪20年満州新京で終戦
ソ連軍の捕虜になり妻は北朝鮮から三人の子供を連れ
て38度線を徒歩で超え21年帰国
彼は10月に満州から引き上げて、気象台に復職出来た。
昭和24年に妻が北から引き揚げた体験記”流れる星は
生きている”がベストセラーに
昭和26年妻の作品に刺激され懸賞小説に”強力伝”を
発表しその他いろいろと小説を書く
昭和31年”強力伝”で直木賞取得
以後気象庁と小説家として二足のわらじを履く
昭和41年気象庁を退職し小説一本に絞る
昭和55年68歳で吉祥寺の自宅で心筋梗塞のため急逝す
ちなみに僕が読んだ彼の小説は以下の通りです。
1、強力伝
2、梅雨将軍信長
3、八甲田山死の彷徨
4、アラスカ物語
5、聖職の碑
6、小説に書けなかった自伝
7、剣岳 点の記
その他に記憶が定かじゃないのが数点ありこれから
読もうと在庫している本に”富士山頂”があります。
それに奥様の本もあとで本屋で探してみますわ!!
これだけ彼の本を読んでいたら立派な読者でしょう
ま彼のファンだと言っても、過言じゃないでしょう
読み終えました。
新田次郎さんは明治45年大正元年我が父と同じ年に
長野県上諏訪町大字上諏訪角間新田に生まれ父・藤原
彦さんの次男寛人でペンネームは新田村の次男坊から
新田次郎とつけたらしい。
昭和14年から18年まで中央気象台に勤務
諸輪20年満州新京で終戦
ソ連軍の捕虜になり妻は北朝鮮から三人の子供を連れ
て38度線を徒歩で超え21年帰国
彼は10月に満州から引き上げて、気象台に復職出来た。
昭和24年に妻が北から引き揚げた体験記”流れる星は
生きている”がベストセラーに
昭和26年妻の作品に刺激され懸賞小説に”強力伝”を
発表しその他いろいろと小説を書く
昭和31年”強力伝”で直木賞取得
以後気象庁と小説家として二足のわらじを履く
昭和41年気象庁を退職し小説一本に絞る
昭和55年68歳で吉祥寺の自宅で心筋梗塞のため急逝す
ちなみに僕が読んだ彼の小説は以下の通りです。
1、強力伝
2、梅雨将軍信長
3、八甲田山死の彷徨
4、アラスカ物語
5、聖職の碑
6、小説に書けなかった自伝
7、剣岳 点の記
その他に記憶が定かじゃないのが数点ありこれから
読もうと在庫している本に”富士山頂”があります。
それに奥様の本もあとで本屋で探してみますわ!!
これだけ彼の本を読んでいたら立派な読者でしょう
ま彼のファンだと言っても、過言じゃないでしょう