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第10回 大阪市 新町

2023-02-27 | 日記

第10回 大阪市 新町

 寒い日が続きますが、2月24日、かつて日本一の遊所と言われた新町界隈を探訪しました。

あいにく小雨でしたが16名が地下鉄四ツ橋駅に13時30分に集合し、出かけました。

 

西横堀川と長堀川が交差する所に四本の橋が架けられていました。 しかし万博関連で

高速道路や駐車場の為に両川が埋められたので、そのモニュメントだけがあります。

 

江戸時代には 夏の夕涼みにも活用されていたようです。

 

すぐ近くに元大阪市立電気科学館があり当時先端のプラネタリウムが大人気でした。

今は交通局所有の複合ビルになっています。

 

船場と新町の間の西横堀川には新町橋が架けられていましたが、今はその記念碑が

残されています。

 

明治になると高麗橋に続いて大阪で2番目に鉄橋が架けられました。 いかによく利用

されていたかが、伺えます。

 

順慶町には 夕市も出来て、大変な賑わいでした。 江戸時代には江戸の吉原、京都の

嶋原、長崎の丸山よりも賑わっていました。なかでも扇屋の夕霧太夫で大人気でした。

 

明治になると、松島遊郭、他も出来て、徐々に花街が衰退し、昭和63年に最後の待合茶屋

「しず家」も閉店し、マンションになりました。

 

路地には 石敷の所も残されています。

 

新町北公園の角に、九軒桜堤の跡の石碑があります。 多くの人が夜桜も楽しみました。

 

その近くのマンション角に初代中村鴈治郎生誕の地碑があります。 1860年に置屋の

扇屋で誕生しましたが、父親は役者で江戸に行ってしまい、家業も苦しく、母と苦労しました。

1875年に道頓堀で初舞台を踏み、人気役者になりました。

 

なにわ筋を西に渡った近くには 大正11年に新町演舞場も作られていました。

 

新町南公園に、「ここに砂場ありき」の碑があります。 

秀吉が大坂城築城時に長堀川の両岸に資材置き場を作り、ここは砂の置き場でした。

 

その碑の裏には、工事関係者に麺類を販売する「いずみや」が開業したと1548年の

古文書に書かれているので、麺類誕生発祥400周年に設置したとの説明があります。

 

吉兆の湯来貞一は1930年にこの辺りで「御鯛茶處吉兆」を開業しました。

その後1937年に島之内畳町に移転し、戦後平野町、嵯峨、高麗橋、他に発展させました。

 

終わる頃には小雨も上がり、良かったです。


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