第1回 熊野古道と信達宿の藤、他
今回は、4月15日(月)に7名で泉州の熊野古道と信達宿梶本家の藤、史跡海会寺跡、
他の史跡探訪に出掛けました。
今年はソメイヨシノの開花が大幅に遅れ、藤は大丈夫かなと心配でしたが藤まつりとの
ことで期待して行きました。12時30分にJR山中渓駅に集合して、スタートしました。
駅から少し南に行くと、山中関所址の碑があります。
昔は大坂から紀州に行くのには一番低い峠があったので、その後の鉄道や高速道路も
ここを通過しています。
駅まで戻り、大阪方面に旧道を歩きます。中央部は石畳状に整備されています。
山中宿の本陣跡です。 峠を越えると紀州なので、ここで衣装を整えたようです。
大阪府の一番南にあった馬目王子跡の看板は鉄工所の敷地にあります。
地蔵堂王子跡は道路から離れた住宅地の公園にあり、なかなか探すのが大変でした。
この付近は深い渓谷が蛇行しており、難所で琵琶法師が落下し死亡したようです。
今なら大きな橋が架けられますが当時は大変でした。
信達宿の南端に一ノ瀬王子跡があります。
ここで初めて熊野古道の看板がありますが行政があまり力を入れていない感じです。
一ノ瀬王子は大きかったようですが、今では馬頭観音、他があるだけです。
お目当ての梶原家に着きましたが、野田藤は二分咲き位でした。
先代当主が丹精込めて育てた1本の野田藤が花房4万房に成長しています。
仮設の足場に登ると迫力があります。
信達宿の本陣です。 藤まつり期間の一部の日だけ内部を公開しているようです。
ゴルフ練習場の近くに厩戸王子跡の碑と案内板があります。
近くに海会寺の国史跡があります。法隆寺式伽藍配置で、講堂、金堂、塔の礎石が残されています。
発掘された軒丸瓦は吉備池廃寺と同じ物で、大阪の四天王寺の後、650年頃に海会寺で
使われました。当時の政治の中心地にあった有力寺院と海会寺との間に強い関係が
あったことが分かります。
梶本家の野田藤は残念でしたが、大昔に熊野まで多くの人が参詣するのは大変だった
だろうと偲ばれました。
9kmと短かったですが、結構、疲れました。 来年も野田藤を見に来たいです。