さて、序章「フーヴァー大統領の『フリーダム・ビトレイド』
明らかになったルーズベルトの裏切り」
ーフーヴァーの勇気ある告発ールーズベルトは誰のために
戦争を始めたのかー
サブタイトルの「勇気ある告発」
藤井氏のこれまでの記述の仕方から、「勇気ある告発」と聞いても
はいそうですかと、にわかに信じがたい。
「勇気ある告発」という文言は、ルーズベルトが犯罪行為に
等しいことをやっていて、フーヴァーの主張は絶対的に正しく
これを告発した場合、フーヴァーは地位や名誉を失う恐れが
があり、場合によっては刑事訴訟法の適用を受けるかもしれない。
そういうニュアンスを持っているとも解釈できる。
果たして、そうだったのだろうか。
学生時代に、抜きんでた商才を発揮して耳目を集めた
フーヴァーは社会に出ても手掛ける事業をことごとく
成功させていったのではないかと思われる。
大統領になっても国家経営に絶対的な自信をもっていたようだ。
webにはフーヴァーの大統領就任演説の一部が記載されている。
「『今日、われわれアメリカ人は、どの国の歴史にも見られな
かったほど、貧困に対する最終的勝利の日に近づいている……』
と語った。しかし、その見通しは甘すぎた。」
更にwebは
「彼は、『不況はしばらくすれば元の景気に回復する』という古
典派経済学の姿勢を貫き、国内においては政府による経済介入
を最小限に抑える政策を継続した。金本位制の維持に固執し、
高金利政策と緊縮財政を断行した。・・・・対外的には
スムート=ホーリー法のもとで保護貿易政策をとった。このこ
とは、世界恐慌を深刻にさせた一因とも指摘される。
フーヴァーは政府や国家レベルでの対策しか講じなかった。
これが、結果として景気をさらに悪化させることになってしまう。」と。
そして次のことがルーズベルトとの対決のターニングポイント
となってしまう。
「恐慌脱出に向けての道筋が見出せない中、フーヴァーが発表した
政策として有名なものが、第一次世界大戦で英仏に融資した戦債
の返済を1年間猶予する『フーヴァー・モラトリアム』である。
彼は、この政策を実行すれば、その1年間の間に景気は回復する
だろうと考えており、次代の大統領フランクリン・ルーズベルト
が(フーヴァーの)公約を反故にしたニューディール政策で民間経
済にも積極的に介入した」
ルーズベルトによって最後の望みを絶たれたフーヴァーは
相当くやしかったに違いない。
しかし、ケインズ経済学を基礎にしたニューディール政策は、
世界の中で世界恐慌から、いち早く脱出した日本の高橋是清の
政策とほぼ同じものだったとある。
フーヴァーについてのwebの記事をかなりの行数で引用したが
ルーズベルトについては、小生のwebから得たにわか知識で
十分に対比でき、従って『フリーダム・ビトレイド』が、
どういうものであったか、容易に察しがつこうというもの。
つまり
フーヴァーは、反共産主義・一国平和主義の、自らの信念を
変えることなく、大統領の時に、ことごとく失敗した経済政策を
中心に再検討したうえで、世界恐慌が起こった原因や
第二次世界大戦勃発と終戦までを検証しながら
ルーズベルトの政策を批判したものではなかったのか。
従って「告発」本などではないのだ。
ちなみに「裏切られた自由」(フリーダム・ビトレイト)を
ネットで検索すると、上下2巻で19360円。とても手が出ない。
アマゾンの、この書籍の紹介文には「回顧録」とある。
また、書評を書いた京都大学教授で政治史学者の記述にも
「回顧録」とあり、翻訳本を出版した草思社編集部の碇高明氏の
「編集者のおすすめ」文にも「回顧録」とある。
藤井氏だけではないのか。フリーダム・ビトレイト裏切られた
自由を「勇気ある告発」と銘を打つのは。
氏が国際政治ジャーナリストならば、
ルーズベルトの政策を検証しながらフーヴァーの正当性を
論じるという手法をとるべきで、こうも一方的に
フーヴァーに肩入れするのは、どういうことか考えてしまう。
やはり氏の思考の根底に「反東京裁判史観」なるものがあって
そこへ読者を誘導するために、格好のターゲットとして
フーヴァーを選んだのではないのか。
フーヴァーを担ぎ上げて、遮二無二、「反東京裁判史観」の
方向へ論理を展開しようとするので、不自然さが目立つ。
およそ国際政治ジャーナリストらしからぬ論理の展開で、
少々辟易する。
次もその例だ。
冒頭に「この人は歴史家としても立派な方で、
大統領になる前にも辞めた後にも、20冊くらいの著作を
執筆しています」とある。
ところがネットで調べてみると、フーヴァーが歴史家だった
という記事はどこにもない。
藤井氏はジャーナリストなので、この手の情報は容易に
取得できるのだろうが、読者が調べることが困難な情報は
脚注を入れて出典元を明らかにして、読者を安心させる
ことも大切であろう。
そして、「この本(フリーダム・ビトレイド)は、なんと
50年近くの間、出版されませんでした。なぜ出なかったか
というと『本当のことが書いてあるから』
『知られてしまうとまずいことが書いてあるから』
出せなかったのです」
これは藤井氏が原著を読んでの主観的な感想でしょ?
ジャーナリストなら出版の経緯についてフーヴァー研究所に
取材してから記述すべきだ。
ネットを散見してみると
ルーズベルトもいくつも間違いは犯してはいたようだ。
前述したように大恐慌からの脱出に成功しかけていたが
第二次世界大戦に参戦することになって
完全に大恐慌から脱出できたとある。
しかし、大恐慌から脱出するために参戦したとは思えない。
とにかく藤井氏は、反共産主義者で一国平和主義者のフーヴァーの
視点に立って記述しているので、すべて一方的だ。
曰く「その『自由』がどれだけ裏切られてきたか、いかに
アメリカが共産主義によって浸食されてきたか、そして
ルーズベルトの時代が、いかにアメリカが本道から外れて
ひどい国家になっていったか」
これではルーズベルトが自国民に「自由」を保証してい
なかったかのような記述になっているが、これはあくま
でフーヴァーの反共産主義・一国平和主義による「自由」
の概念をもって批判したに過ぎないものを、藤井氏は
反東京裁判史観へ読者を誘導しようと、「いかにアメリカが
本道から外れて、ひどい国家になっていったか」と
センセーショナルに記述する。
でも、これも先述した日本の高橋是清の業績とルーズベルトの
政策が類似していたことを読者が知れば、それに対する杞憂は
雲散霧消する。
そして「ルーズベルト神話はいまだアメリカ社会に根強く
生きている」では
「そもそもアメリカは第二次世界大戦を戦う必要がなかった、
彼はそう言っているのですね」、フーヴァーが日本に宣戦布告
することに賛成したことをひた隠しにしてるのは、なぜだ?
ド素人の小生でさえ、ネットで調べて、フーヴァーが日本に
宣戦布告することに賛成したことを発見できたのに。
そして最後に本音が出た。
「なお、わたくしは第二次世界大戦の本質は・・・・・
日本から見れば、日本のアジア解放の戦いであったという
意義もあります」
なんと大東亜共栄圏構想の支持者だったのだ。
日本は、この大東亜共栄圏の理念のもとに戦争を推進して、
300万人以上の戦死者・戦没者を出しいてるのに、「意義も
あります」?
しかも、「はじめ」の
「第二次世界大戦の前から、朝日、毎日のメディアは
反日だった」となどと、よくもぬけぬけと言えるものだ。
いよいよ、これは捨て置けないことになった。
氏のこの本を最後まで読んで、逐一反論していく。
明らかになったルーズベルトの裏切り」
ーフーヴァーの勇気ある告発ールーズベルトは誰のために
戦争を始めたのかー
サブタイトルの「勇気ある告発」
藤井氏のこれまでの記述の仕方から、「勇気ある告発」と聞いても
はいそうですかと、にわかに信じがたい。
「勇気ある告発」という文言は、ルーズベルトが犯罪行為に
等しいことをやっていて、フーヴァーの主張は絶対的に正しく
これを告発した場合、フーヴァーは地位や名誉を失う恐れが
があり、場合によっては刑事訴訟法の適用を受けるかもしれない。
そういうニュアンスを持っているとも解釈できる。
果たして、そうだったのだろうか。
学生時代に、抜きんでた商才を発揮して耳目を集めた
フーヴァーは社会に出ても手掛ける事業をことごとく
成功させていったのではないかと思われる。
大統領になっても国家経営に絶対的な自信をもっていたようだ。
webにはフーヴァーの大統領就任演説の一部が記載されている。
「『今日、われわれアメリカ人は、どの国の歴史にも見られな
かったほど、貧困に対する最終的勝利の日に近づいている……』
と語った。しかし、その見通しは甘すぎた。」
更にwebは
「彼は、『不況はしばらくすれば元の景気に回復する』という古
典派経済学の姿勢を貫き、国内においては政府による経済介入
を最小限に抑える政策を継続した。金本位制の維持に固執し、
高金利政策と緊縮財政を断行した。・・・・対外的には
スムート=ホーリー法のもとで保護貿易政策をとった。このこ
とは、世界恐慌を深刻にさせた一因とも指摘される。
フーヴァーは政府や国家レベルでの対策しか講じなかった。
これが、結果として景気をさらに悪化させることになってしまう。」と。
そして次のことがルーズベルトとの対決のターニングポイント
となってしまう。
「恐慌脱出に向けての道筋が見出せない中、フーヴァーが発表した
政策として有名なものが、第一次世界大戦で英仏に融資した戦債
の返済を1年間猶予する『フーヴァー・モラトリアム』である。
彼は、この政策を実行すれば、その1年間の間に景気は回復する
だろうと考えており、次代の大統領フランクリン・ルーズベルト
が(フーヴァーの)公約を反故にしたニューディール政策で民間経
済にも積極的に介入した」
ルーズベルトによって最後の望みを絶たれたフーヴァーは
相当くやしかったに違いない。
しかし、ケインズ経済学を基礎にしたニューディール政策は、
世界の中で世界恐慌から、いち早く脱出した日本の高橋是清の
政策とほぼ同じものだったとある。
フーヴァーについてのwebの記事をかなりの行数で引用したが
ルーズベルトについては、小生のwebから得たにわか知識で
十分に対比でき、従って『フリーダム・ビトレイド』が、
どういうものであったか、容易に察しがつこうというもの。
つまり
フーヴァーは、反共産主義・一国平和主義の、自らの信念を
変えることなく、大統領の時に、ことごとく失敗した経済政策を
中心に再検討したうえで、世界恐慌が起こった原因や
第二次世界大戦勃発と終戦までを検証しながら
ルーズベルトの政策を批判したものではなかったのか。
従って「告発」本などではないのだ。
ちなみに「裏切られた自由」(フリーダム・ビトレイト)を
ネットで検索すると、上下2巻で19360円。とても手が出ない。
アマゾンの、この書籍の紹介文には「回顧録」とある。
また、書評を書いた京都大学教授で政治史学者の記述にも
「回顧録」とあり、翻訳本を出版した草思社編集部の碇高明氏の
「編集者のおすすめ」文にも「回顧録」とある。
藤井氏だけではないのか。フリーダム・ビトレイト裏切られた
自由を「勇気ある告発」と銘を打つのは。
氏が国際政治ジャーナリストならば、
ルーズベルトの政策を検証しながらフーヴァーの正当性を
論じるという手法をとるべきで、こうも一方的に
フーヴァーに肩入れするのは、どういうことか考えてしまう。
やはり氏の思考の根底に「反東京裁判史観」なるものがあって
そこへ読者を誘導するために、格好のターゲットとして
フーヴァーを選んだのではないのか。
フーヴァーを担ぎ上げて、遮二無二、「反東京裁判史観」の
方向へ論理を展開しようとするので、不自然さが目立つ。
およそ国際政治ジャーナリストらしからぬ論理の展開で、
少々辟易する。
次もその例だ。
冒頭に「この人は歴史家としても立派な方で、
大統領になる前にも辞めた後にも、20冊くらいの著作を
執筆しています」とある。
ところがネットで調べてみると、フーヴァーが歴史家だった
という記事はどこにもない。
藤井氏はジャーナリストなので、この手の情報は容易に
取得できるのだろうが、読者が調べることが困難な情報は
脚注を入れて出典元を明らかにして、読者を安心させる
ことも大切であろう。
そして、「この本(フリーダム・ビトレイド)は、なんと
50年近くの間、出版されませんでした。なぜ出なかったか
というと『本当のことが書いてあるから』
『知られてしまうとまずいことが書いてあるから』
出せなかったのです」
これは藤井氏が原著を読んでの主観的な感想でしょ?
ジャーナリストなら出版の経緯についてフーヴァー研究所に
取材してから記述すべきだ。
ネットを散見してみると
ルーズベルトもいくつも間違いは犯してはいたようだ。
前述したように大恐慌からの脱出に成功しかけていたが
第二次世界大戦に参戦することになって
完全に大恐慌から脱出できたとある。
しかし、大恐慌から脱出するために参戦したとは思えない。
とにかく藤井氏は、反共産主義者で一国平和主義者のフーヴァーの
視点に立って記述しているので、すべて一方的だ。
曰く「その『自由』がどれだけ裏切られてきたか、いかに
アメリカが共産主義によって浸食されてきたか、そして
ルーズベルトの時代が、いかにアメリカが本道から外れて
ひどい国家になっていったか」
これではルーズベルトが自国民に「自由」を保証してい
なかったかのような記述になっているが、これはあくま
でフーヴァーの反共産主義・一国平和主義による「自由」
の概念をもって批判したに過ぎないものを、藤井氏は
反東京裁判史観へ読者を誘導しようと、「いかにアメリカが
本道から外れて、ひどい国家になっていったか」と
センセーショナルに記述する。
でも、これも先述した日本の高橋是清の業績とルーズベルトの
政策が類似していたことを読者が知れば、それに対する杞憂は
雲散霧消する。
そして「ルーズベルト神話はいまだアメリカ社会に根強く
生きている」では
「そもそもアメリカは第二次世界大戦を戦う必要がなかった、
彼はそう言っているのですね」、フーヴァーが日本に宣戦布告
することに賛成したことをひた隠しにしてるのは、なぜだ?
ド素人の小生でさえ、ネットで調べて、フーヴァーが日本に
宣戦布告することに賛成したことを発見できたのに。
そして最後に本音が出た。
「なお、わたくしは第二次世界大戦の本質は・・・・・
日本から見れば、日本のアジア解放の戦いであったという
意義もあります」
なんと大東亜共栄圏構想の支持者だったのだ。
日本は、この大東亜共栄圏の理念のもとに戦争を推進して、
300万人以上の戦死者・戦没者を出しいてるのに、「意義も
あります」?
しかも、「はじめ」の
「第二次世界大戦の前から、朝日、毎日のメディアは
反日だった」となどと、よくもぬけぬけと言えるものだ。
いよいよ、これは捨て置けないことになった。
氏のこの本を最後まで読んで、逐一反論していく。