非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽12

2020-09-23 23:09:05 | 日記
さて次も同じことの繰り返し。
次の「スターリン、チャーチル、蒋介石には、ルーズベルトとの
深い関係があった」の項。

ルーズベルトはソ連が大好きですから、大統領に就任してから
すぐにソ連を承認しているくらいです。冷酷な独裁者ヨシフ・
スターリンをアンクル・ヨシフ(アンクル・ジョー)と呼ぶほどで、
スターリンには親しみを持っていました。ルーズベルトの側近や
ブレーンにも、ソ連のスパイやシンパが山のようにいました。
これは秘密でも何でもない、公然たる事実です


ルーズベルトはソ連が大好きですから・・・
このフレーズを読んだ時、「講談師見てきたような嘘を言い」を
ふと思い出した。
大好きですから」は、感情丸出しに好意を示す言葉。
一国の宰相が他国を諸手を挙げて歓迎するのは、後進国の
しかも弱小国家が、経済援助等を欲しくて、ジェスチャーを
する場面は良くあることだ。
ところがルーズベルトは、「超大国」になりつつあった
アメリカ大統領。

たとえば現在、退陣した安倍元首相とトランプ大統領。
安倍首相は世界の「嫌われ者」のトランプと、お互いを
「シンゾウ」「ドナルド」とファーストネームで呼び合う
仲だったが、それは単に同盟国ということだけではない。
新帝国主義の中国の脅威から日本を守るために、安倍元
首相は懸命だったとも言える。それは小泉氏や中曽根氏も
同様だったはずだ。

一国の宰相が他国に向かって本音を開陳することは
政治の世界では、まずありえない。

スターリンをルーズベルト大統領が「アンクル・ヨシフ」と
呼んだのも、トランプ大統領が安倍元首相を「シンゾウ」と
呼んだのと、ニュアンス的に、さほど変わりはしないが、
「アンクル」とファーストネームにつけて呼ぶのは、同盟国で
呼び捨ての「シンゾウ」「ドナルド」よりも距離があったと
いうことだ。
しかもアメリカは「国際連盟」の理念を提唱し「国際連盟」の
設立に関与したものの、加盟に向けた自国アメリカの批准に
失敗して、「非国連加盟国」で、一方、ソ連は1934年に「国際
連盟」に加盟と同時に常任理事国となっていた。
このことに対する引け目がルーズベルトになかったとは言えまい。

そして
すぐにソ連を承認している
国家が他国を「承認する」という場合は、クーデーターなどで
政権を掌握して間もない時に、国家を代表するものとして、その
政権を「承認する」ニュースは、国際的によくあることだ。

ところがソ連はルーズベルトが大統領に就任する10年以上前の
1922年に樹立しているので、「承認」などというものが
あるはずがない。これもやはり藤井氏の創作ではないのか?

ルーズベルトの側近やブレーンにも、ソ連のスパイやシンパが
山のようにいました

藤井君。文章をしっかり書きなさいよ!
この文章表現だと
アメリカの大統領ともなると「側近やブレーンが何千人もいて
その内の何百人かがスパイかシンパ
」という解釈になる。

そんなわけないだろッ

ルーズベルトには二人の側近しかいなかったとある。
ブレーンというなら10人程度の閣僚だろう。
そして「スパイやシンパがいたなんだ・この表現はっ
スパイは隠密に行動するのに、そのシンパいた?

webを見ると、終戦後、マッカーシー旋風の赤狩りで、官僚や
公務員の中にかなりの共産主義者や、そのシンパがいて、彼らを
スパイ呼ばわりして、公職から追放したようだが、
それを「山のように」と言っているのか?
だったらもっと気が利いた表現をすべだ。

第一、「山のようにいました」おとぎ話や童話でもあるまいし、
これは読者を小ばかにした表現だ。フィクションではないのだから
こういう表現は、あってはならない。ソ連のスパイが政権内部の
どのレベルに何人いたか、脚注を以て説明すべきだろう。

しかも、この一連のフレーズの文脈は、ルーズベルトが
ソ連が大好き」だから政権内のスパイを放置していたか
のような訴え方にもなっている。

また「ソ連が大好き」「冷酷な独裁者・スターリンにも親しみを
持っていました
」したがってルーズベルトも「冷酷な独裁者
という幼稚なレトリックを使っている。

ところがウィキペディアは
ルーズベルトは外交政策について国務省をほとんど頼らず、
ハリー・ホプキンスのような個人的特使や大統領付軍事顧問で
あるウィリアム・リーヒなどとだけ相談して物事を進めて
しまったため、国務省はルーズベルトが描いている戦争の遂行、
終結についての構想を全く知らされていなかった

また戦後についての記事では
マッカーシー上院議員がアメリカ国務省内のスパイの存在を
指摘し、マッカーシズムが台頭すると「赤狩り」の主要な舞台
となった

この一連の記事から、ルーズベルトが、二人の側近だけに相談
していたのは、省内のスパイの存在を薄々気づいていて
警戒していたのではないかと思われる。

webを見ると、確かに政権中枢にソ連のスパイがいたようだ。

ルーズベルト政権の財務次官補のハリー・ホワイトがその人で
ウィキペディアは
アメリカ合衆国の官僚、ソ連のスパイ。フランクリン・ルーズ
ベルト政権のヘンリー・モーゲンソー財務長官のもとで財務次
官補をつとめた。1941年、財務次官補としてハル・ノートの草案
作成に携わった。この頃、ソ連軍情報部と接触し「スノウ(snow)
作戦」(ホワイトの名による)という工作に関係したとされる。
ソ連の内務人民委員部(NKVD)で米国部副部長を務めたヴィター
リー・パヴロフの証言によると、スノウ作戦の際、ソ連軍情報部の
イスハーク・アフメーロフがホワイトと接触した後、ヴィターリー
・パヴロフはアフメロフの友人としてホワイトに接触、メモを見
せたという

反面「なお、実際には、ハル・ノートを作成したのは財務省では
なく国務省でありホワイトは関係ない。また、パブロフの証言に
よれば、アメリカの力を対独戦に向けさせるため、ホワイトに接
触して日米戦争を回避するプランを提供することが「スノウ作戦」
であり、当然ながらホワイトが関係したというのはおかしい。
無論、ホワイト自身は工作対象であってスパイではない。
パブロフは「ホワイトを引き込むことはしなかった。なぜなら、
われわれには財務省には、さらに二人のエージェントがいて、
対外諜報に必要なすべての情報をくれていたからです。情報源
としてのエージェントはこれ以上われわれには必要なかった」
としている
」と
両論併記となっており、記事の内容は錯綜している。

しかし、ハリー・ホワイトは
戦後、共産主義者であると告発を受けた。1948年の夏に下院非
米活動委員会
において、ウィテカー・チェンバースと
エリザベス・ベントリーが、ソ連のNKGB(国家保安人民委員部、
KGBの前身)の在米責任者ボリス・ブコフ大佐指揮下の秘密工作
機関について知る限りを証言、その中に彼の名前があったため、
非米活動委員会に召還された。
委員会において彼は自分がスパイであることを否定した。
下院非米活動委員会に出席した三日後、ニューハンプシャー州の
自分の農場にて心臓発作により死去。これはジギタリスの大量服用
による心臓麻痺で、自殺だったと言われている


また側近だったハリー・ポプキンスも戦後、スパイの疑いを
かけられたようだ。

したがって、「側近・ブレーン」に「山のようにいた」というのは
大嘘ということだ。

ちなみに「下院非米活動委員会」はルーズベルト大統領2期目の
1938年に設立されている。

童話作家みたいな
藤井ちゃん
愛国心があるなら
こんな小説まがいの
歴史本で
国民を騙すような
ことはするな
脚注を付けろっ
脚注を







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