非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽37

2020-12-05 22:14:34 | 日記
前回「日本は終戦のために水面下で動いていた」の続きです。

自分の置かれている状況の中で、物事を的確に判断することは簡単
ではない。まして国内の時局を正確に判断して政局に望むのは、
「政治の世界は一寸先は闇」と言われるくらいプロの政治家でも
難しいと言われる。
フーヴァーのアメリカ大統領としての施政は、ことごとく失敗に
終わったのに、一国平和主義者ということもあって、国際政治の
舞台で力量を発揮できたとは思えない。
過去の事象を評することは誰にでもできる。
ルーズベルトの過去の政治を評したフーヴァーの言説をさも絶対正
義のように藤井氏は取り上げていて、それはこの第3章でも変わっ
ていない。

この項の最後に原爆による死亡者数に触れている。続けて記述する
のかと思いきや、3項目先に
「広島、長崎への原爆投下がなくても日本は降伏していた」
「原爆投下は、新世界におけるアメリカの覇権を誇示するもの
だった」
「日本に無条件降伏を呑ませるための切り札」

ただ原爆に限っては、小生に限ったことではないだろうが、非常に
憂鬱になって藤井氏が掲げるタイトルに抗う気力さえ失せる。それ
は広島・長崎の惨状の映像が、今も眼にあるからだ。
どうして原爆投下を回避できなかったのか、無念の思いで、過去の
情勢を紐解かざるをえない。
「日本は終戦のために、水面下で動いていた」とあるが、NHKスペ
シャルは、その動きの実態を暴露している。
NHKスペシャル 原爆投下 活かされなかった極秘情報
“想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下。実は、日本
軍は米軍の動きをつかんでいたことが明らかになってきた。それな
のに、なぜ多くの市民の命を守ることができなかったのか。当時の
資料や当事者の証言などから、国民の生命の安全よりも、国の担当
者の事情やメンツを優先させた驚くべき実態
が浮かび上がってきた。
被爆から66年。初めて明らかになる原爆投下の真実に迫る


いろいろweb記事を見る中で、日本はアメリカが爆撃機B29の製造
に着手したという情報を入手して本土空襲に備えようと対策を練っ
たというような記事を見た時、ふと、だったらアメリカが原爆実験
に成功したという情報は入手できたはずだ、なのにどうしたのか
と思っていた。NHKスペシャルが、その謎を解き明かしたことに
なる。

webではポツダム宣言受諾に至る国内の情勢を記録している。
連合国との和平工作に努力する政党政治家も多かったが、敗北に
よる責任を回避し続ける大本営の議論は迷走を繰り返す。一方、
「神洲不敗」を信奉する軍の強硬派はなおも本土決戦を掲げて一
億玉砕を唱えた。日本政府は中立条約を結んでいたソビエト連邦
による和平仲介の可能性を探った。このような降伏の遅れは、そ
の後の制空権喪失による本土空襲の激化や沖縄戦の激化、原子爆
弾投下などを通じて、日本軍や連合軍の兵士だけでなく、日本や
その支配下の国々の一般市民にも甚大な惨禍をもたらすことにな
った


このようにウィキでさえ、悔恨を滲ませているのに、藤井氏は、
どこまでも「ノー天気」だ。
この項の最後で原爆について記述しているので、氏の原爆の記述
をピックアップしながら反論していこう。

「無条件降伏の要求が、戦争を無駄に長引かせ、より残酷なもの
にした」の項で藤井氏、フーヴァーの代弁、曰く。
ですから無条件降伏の要求さえなければ、原爆投下はもちろん
沖縄戦だって避けることはできただろうというのが、フーヴァー
の主張です

「無条件降伏の要求」ということは「ポツダム宣言」だが、この
文章はポツダム宣言後に、沖縄戦が始まったことになっている。
おかしいなと思ってネットを確認すると、ポツダム宣言は45年の
7月26日なっていて、沖縄戦は45年3月~6月。逆じゃないかっ

藤井君
なんだ、これはっ
フーヴァーは、
このレベルの歴史認識しか持っていない。
なのに、フーヴァーの言説を
金科玉条のように振り回して
「太平洋戦争の大嘘」
まるで寅さんの世界だよ
え?分からない?
「見上げたもんだよ
屋根屋のふんどし」

たははははー


書くことが多すぎて、割愛です。




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