非才無才の雄叫び

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「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽39

2020-12-14 21:54:19 | 日記
「無条件降伏の要求が、戦争を無駄に長引かせ、より残酷な
ものにした」の続きです。

ここでドイツのweb記事を転記します。
ドイツの場合はイタリアや日本、衛星諸国の降伏とは異なり、一
切事前に条件が提示されることのない完全な無条件降伏であった。
連合軍総司令部ドイツ問題政治担当顧問を務めていたロバート・
ダニエル・マーフィーは「このドイツの降伏は、第二次大戦にお
ける唯一の真の意味の無条件降伏であった」と評している

この記事を読んだうえで、13条に及ぶポツダム宣言を読むと、連合
軍の日本に対する「無条件降伏」の内容が見えてくる。

ポツダム宣言
1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我
々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機
会を与えることで一致した。
2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に
整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する
戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞され
る。
3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイ
ツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもた
らしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意
味する。
4日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義
者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべ
き時が到来したのだ。
5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲
歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めな
い。
6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久
に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和
と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認され
る時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日
本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本
州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られ
なければならない。
9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生
活出来る機会を与えられる。
10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化し、また日本国民を滅亡
させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切
の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民にお
ける民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は
排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権
の尊重は確立されるべきである。
11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手
段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には
国際貿易に復帰が許可される。
12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政
府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成され
た場合に占領軍は撤退するべきである。
13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその
行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の
選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである

以上で分かるとおり第13条が条件付無条件降伏を簡潔且つ明瞭に示
している。

一国平和主義者で、戦前はほとんど日本に関心がなかったはずの
フーヴァーが、政界を引退して政権中枢にいなかったにも関らず、
したり顔で史実とは真逆のちぐはぐな記述をしている。
1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を掲げて和平を求めてい
たが、トルーマンはこれを拒否した。・・・・日本との和平はただ
一つの譲歩で達成できた。それは天皇の地位の保全である。・・・
米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠
牲になった後であった
」マッカーサーから聞いたのであろう。この
程度の歴史認識しかフーヴァーは持っていなかったのに、藤井氏は
自分の都合で、どこまでもフーヴァーを担ぎ上げる。

日本の天皇制についてのアメリカ政権の方針
「終戦1年6か月前が必要で ある」
としながらも「日本世論は圧倒的に天皇制廃止に反対である……強
権をもって天皇制を廃止し天皇を退位させても、占領政策への効果
は疑わしい」と天皇制維持の方向での意見を出している。また1945
年に入ると、日本の占領政策を協議する国務・陸・海軍3省調整委員
会において「占領目的に役立つ限り天皇を利用するのが好ましい」
「天皇が退位しても明らかな証拠が出ない限りは戦犯裁判にかける
べきではない」という基本認識の元で協議が重ねられ、戦争の完全
終結と平穏な日本統治のためには、天皇の威信と天皇に対する国民
の親愛の情が不可欠との知日派の国務長官代理ジョセフ・グルーら
の進言もあり、当面は天皇制は維持して昭和天皇の戦争責任は不問
とする方針となった


こういうネットの記事があるにも関らず、自らの論旨に沿うフーヴ
ァーの記事を中心に据えて藤井氏は転記したり、感想を述べたりと
余念がない。

上記を理解したうえで以下のwebの記事を読むと一層面白い。
1945年7月26日に米英中の首脳の名において、日本に降伏を求
めるポツダム宣言が発表されたが、日本政府はこれを「黙殺」し
た。アメリカのトルーマン大統領は、本土決戦による犠牲者を減
らすためと、日本の分割占領を主張するソビエト連邦の牽制を目
的として、史上初の原子爆弾の使用を決定。
8月9日の御前会議において昭和天皇が「戦争指導については、先
の(6月8日)で決定しているが、他面、戦争の終結についても、
この際従来の観念にとらわれることなく、速やかに具体的研究を
遂げ、これを実現するよう努力せよ」と初めて戦争終結のことを
口にした。しかし、日本軍部指導層、とりわけ戦闘能力を喪失し
た海軍と違って陸軍は降伏を回避しようとしたので議論は混乱し
た。しかし鈴木貫太郎首相が天皇に発言を促し、天皇自身が和平
を望んでいることを直接口にしたことにより、議論は収束した

8月14日、終戦の詔書が発されポツダム宣言を受諾(日本の降伏)
することになった。
しかし・・・敗戦と玉音放送の実施を知った一部の陸軍青年将校
グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還をもくろんで
8月15日未明に宮内省などを襲撃する事件を起こしたが、これは
陸軍自身によって鎮圧された。8月15日正午、昭和天皇の玉音放
送が放送された


戦争に勝てないと判断した大日本帝国政府は、7月12日、ソ連に
いる日本特命全権大使(佐藤尚武)宛に、ソ連に和平の仲介を依
頼する特使を派遣する予定であることを伝えるよう打電した。そ
のパープか暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされた。
トルーマンは、大日本帝国政府が和平の動きに出たことを知って
いたことになる。ポツダム入りした米陸海空軍参謀本部は、首脳
会談の前に合同会議を持ち、「ソ連が参戦する予定であることと、
天皇制存続を認めれば、日本の降伏は今日にでもありうる。日本
はすでに壊滅状態で、原爆を使う必要はなく、警告すれば十分」
との結論を出した。しかしトルーマンは、その結論を信用しなか
った。
バーンズはハリー・トルーマン大統領のもと、1945年7月、国務
長官となり三人委員会の提言を独断で黙殺し、原子爆弾の使用を
強く大統領に進言した。また、日本の最初のポツダム宣言受諾回答
(天皇の統治大権に変更を加えないことを条件とした受諾)を拒否
し、天皇と日本政府の権威は連合軍最高司令官に従属する」という
趣旨の「バーンズ回答」を起草、返信したことでも知られる。日本
政府は最終的にこのバーンズ回答を受け入れてポツダム宣言を受諾
した


バーンズは、原爆の力を使えば、ソ連に加勢してもらわなくて
も、本土上陸作戦の前に日本を降伏させることができると考えた。
もしそうなれば、戦後の世界でソ連の力を抑えることもできるし
、ベストの結果となろう。しかしこのタイミングで日本の降伏条件
を緩和した場合、日本が降伏してしまい、原爆投下の機会を逸する
ことをバーンズは恐れた。そこで「降伏条件の緩和で日本の降伏を
促進する」という路線については「原爆投下までは棚上げすべし」
とトルーマンに説き、大統領を味方につけることに成功した。こう
して降伏条件を緩和することで、日本の降伏を促進すべしと説くグ
ルーやスティムソンの陣営と、原爆を投下し、その威力を示すまで
は、降伏条件を緩和すべきでないとするバーンズとトルーマンの陣
営とにトルーマン政権は分裂することになった


日本についてはマッカーサーから聞いた程度の認識しか持っていな
いフーヴァーの「フリーダムビトレイド」など取るに足りない書籍
を、さも正義の書籍であるかのように取り上げる藤井氏の厚顔無恥
な記述は、とっくに論理破綻しているのが、手に取るように分かる。

割愛します。

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