さて「ルーズベルト大統領3つの大罪」です。
そもそも「フリーダムビトレイド」など、日本に関する限りは荒唐
無稽そのもので、論じるほどのものでもないが、藤井氏は同じテー
マを2度も3度も出してくるので、一応、反駁しておく。
1つ目「日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズ
ベルトが日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因
ではない」
2つ目「41年の日米交渉では、ルーズベルトは日本側の妥協を
受け入れる意図ははじめから全くなかった。彼は日本側の誠実
な和平の努力をことごとく潰した」
以前のブログでも書いているとおり日本陸軍の石原莞爾の言説か
らも日本の侵略が原因だったことは明白。また、日米交渉の直接
の当事者でなかったフーヴァーが確認もせずに自分の主観をその
まま書いていると思われる「日本側の誠実な和平の努力をことごと
く潰した」などと敵国のことを肯定するのは通常有り得ないが、
ここまで歪曲するのはフーヴァーの大統領選の歴史的大敗の悔し
さが原因で、しかし、これほど意地汚くなるのかと思うと唖然と
する。
そして3つ目「アメリカは45年に『原爆を投下せずに日本を降伏
させることができた』ということです。『原爆投下の罪は、アメリ
カ人の良心の上に重くのしかかっている』とまでフーヴァーは言っ
ています」
結果から見て「原爆を投下せずに日本を降伏させることができた」
かもしれないし、そうであってほしかった。原爆投下に至るアメリ
カ政権内部の論争や駆け引きは、先のブログで紹介した通りだが、
そのことはNHKスペシャルでも放映していたと記憶している。投下
地点を当初は京都にして、大統領の裁可を得ようとしたが、「京
都には軍事施設がないではないか」と大統領から指摘を受け、
変更して軍港がある広島を申請したが、大統領から市民を巻き添
えにしないようにと注意があったのに、軍関係者は、大統領に
「軍事施設だから心配ない」というような虚偽の報告をして、ト
ルーマンの承認を得て、広島市の中心部に原爆を投下したという
放送だったような気がする。
その中心人物が、先のブログで紹介したジェームズFバーンズだっ
たのかもしれない。念のためバーンズをネットで検索したが、特
筆すべき記載はなかった。しかし、ネットを調べているうちにトル
ーマンは原爆投下を承認した記録がないという。後年、発見された
記録から原爆投下はトルーマンの承認を得ず実行されたようだ。
その主犯が原爆開発の責任者レズリー・グローヴスという人物であ
ることが分かった。
その記録
「グローブスは、1942年から大規模の原爆計画であるマンハッタン
計画の最高責任者に就任。この計画に22億ドルもの国家予算が注ぎ
込まれ、各地に大規模な工場や研究所を建設し、原爆の完成を目指
した」
「・・・スティーブンス工科大学のアレックス・ウェラースタイン
准教授によると、「誰もルーズベルトが亡くなるとは思っていませ
んでした。トルーマン自身も大統領になるとは思っていなかったの
で、軍とのやりとりの方法やルーズベルトが諸外国と何を交渉し、
約束したのかを学ばなければなりませんでした。多くのことを一度
に把握する必要がある中、孤立状態にあったのです。解決すべき難
題が多く、原爆もその1つにすぎませんでした。」という。・・・
グローブスは「(トルーマンが)大統領に就任する前既に原爆投下に
向け多くの準備が整っていました。一方でトルーマンには原爆の知
識はほとんどありませんでした。」と説明した」
「そんな中、グローブスがトルーマンのもとを訪れた2日後の1945
年4月27日にグローブスは、原爆を日本のどこに投下するか話し合
う、『目標検討委員会』に出席した。ここに大統領だったトルーマ
ンやその側近は出席していない。話し合いの結果以下の17か所が選
ばれた(川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉
、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本)。その中で
、京都と広島が有力候補に上がり、グローブスは京都を上げた。そ
の理由についてグローブスは、「京都は外せなかった。最初の原爆
は破壊効果が隅々と行き渡る都市に落としたかった。」と語ってい
る。
「そしてその3日後グローブスは、陸軍長官のスティムソンに呼び
出された。目標場所を答えたところ「京都は認めない。」と言わ
れた。その訳がコネティカット州にあるイェール大学の図書館に保
管されていたスティムソンの日記で明らかになった。6月6日付けの
日記にはこう記されている。「この戦争を遂行するにあたって気が
かりなことがある。アメリカがヒトラーを凌ぐ残虐行為をしたとい
う汚名を着せられはしないかということだ。」。実はスティムソン
は京都を二度訪ねたことがあり、原爆を投下すればおびただしい被
害者がでることを知っていた。スティムソンは、この頃勢いを増し
ていた日本への爆撃が、全世界が非難する無差別爆撃に当たるので
はと考えていた。これ以上アメリカのイメージを悪化させたくなか
ったのだ。しかしグローブスは、諦めることなく何回もスティムソ
ンと交渉をしたが、結果は同じだった。歴史学者によると、「都市
の真ん中に原爆を落とし、市民を殺戮する計画にスティムソンは反
対でした。戦争で市民の死は避けられないことは分かっていたが、
意図的に市民を狙って殺すことは別だと考えていたのです。そして
トルーマン政権は、軍に突如介入し、まったをかけたのです。」と
述べている。
トリニティ実験の5日後の7月21日スティムソンの元に部下から緊急
の電報が届いた。グローブスらが再び京都を目標とするように言っ
てきた。その3日後スティムソンは、トルーマンに相談し、京都を
目標から外すよう話した。スティムソンの7月24日付の日記には
「私は京都を目標から外すべきだと大統領に伝えた。もし一般市民
が暮らす京都に原爆を落とすという理不尽な行為をすれば、戦後和
解の芽をつみ、日本が反米国家になってしまうと。すると大統領は
『全く同感だ。』と答えた。」と記されていた。」
web記事を読んでいて次第に腹が立ってきた。
「レズリーしつこいぞ」
「また、トルーマンの7月25日付の日記にも「この兵器は7月25日
から8月の間に使われようとしている。私はスティムソンに兵士や
軍事物のみを目標とし、一般市民、特に女性や子供をターゲットに
することがないようにと言っておいた。いかに日本人が野蛮、冷酷
、残虐であろうとも世界平和を推進するリーダーたる我々が日本の
古都や新都に向けてこの恐るべき爆弾を使用するわけにはいかない
のだ。この点で私とスティムソンは完全に一致している。目標は軍
事基地のみに限られる。」と記されている。つまり、トルーマンは
市民の上への原爆投下に反対していたのだ」
「しかしグローブスは、それでも原爆による最大の破壊効果を得た
いが為にもう一つの有力候補に上がっていた広島に目をつけた。グ
ローブスは広島は軍事都市であると偽りの報告書をトルーマンに提
出した。
「広島は日本有数の港と軍事物資の供給基地など軍の大規模施設が
集まる陸軍都市である」とのこと。これについて歴史学者の一人
は、「軍は原爆によって一般市民だけを攻撃することはないと見せ
かけたのです。トルーマンは広島について詳しく知らなかったと思
います。調べる暇がありませんでした。京都と広島の違いを拡大解
釈し、広島に多くの一般市民はいないと思いこんだのです。」。そ
の結果、トルーマンが目標から広島を外すことはなかったという」
グローヴスは、なぜ大統領に虚偽の報告をしてまで、日本人を原爆
で大量殺戮することに拘ったのだろうか。
色々説がある。日本軍の宣戦布告のない真珠湾攻撃や中国重慶への
無差別爆撃に対する米国軍人の憎悪等もその一つだという。
「京都は外せなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々と行き渡る都
市に落としたかった。」のレズリーの言葉。
この言葉はレズリーが日本人を白人と同等レベルの人種とは見てい
なかったから、殺戮のモルモット的な扱いで「破壊の効果」のみに
拘ることになったのではないか。
ここで「良心」とは何かを考えざるをえなくなった。
スティムソンは明らかに「良心」があり、レズリーには任務遂行の
意思だけで「良心」の欠片もなかったと言いたいが、果たして、そ
うなのか。
ヴィクトル・ユーゴ―が「レミゼラブル」の中で、「良心」につい
て格言めいた言葉を残している。
「良心とは学問の量である」確かこういう言葉だったと記憶してい
る。だったら
「ワシントン大学、マサチューセッツ工科大学を経て、1918年に陸
軍士官学校を卒業。その後、陸軍工兵隊に入り、1921年まで技術将
校としての訓練を積む。1934年には大尉に昇進し、陸軍工兵総監司
令部に勤務。1936年には指揮幕僚大学、1939年には陸軍大学をそ
れぞれ卒業。1940年には大佐となり、国防総省庁舎の建築計画に携
わる」という素晴らして来歴を持っているレズリーも、それなりの
「良心」を持っていたはずだが、残念ながら、それは祖国アメリカ
に忠誠を尽くすというレベルの「良心」に過ぎなかったのではない
か。
しかし、大統領を欺くというのは「反逆罪」のはずだが、レズリー
は、それを「平然」と執行した。なぜか?トルーマンが原爆について
全く知識がなかったうえ、大統領としてのカリスマ性がもまだ身に
ついていなかった為だろうか。
そのような犯罪行為を犯してまで原爆投下を執行したのは、アメリ
カ人の日本に対する「憎悪」が激しかったのかもしれないが、原爆
投下後、レズリーは処罰されることなく昇進している。そして「19
48年1月には中将となるが、その1ヵ月後に陸軍を退役した」とある。
しかしアメリカは原爆の「効果」について検証しているはず。にも
かかわらずレズリーの独断は許されたということになる。スチムソ
ンやトルーマンの「良心」は、ただの「気持ち」だけだったのか。
これを放置した以上、アメリカの国家としての「良心」は、どうな
ったのかと問わざるを得ない。
もし藤井氏ら右派論客の唱える「反東京裁判史観」が勝者の一方的
な裁判で、連合軍が行った広島・長崎の原爆投下による大量虐殺、
東京大空襲の大量虐殺は不問に付したことに反対するということで
あるならば大いに賛成だが、「反東京裁判史観」をもって歴史を歪
曲することは、将来の米国に対する賠償請求を無にするものだ。
しかし、以下にweb記事があった。
「終戦後、日本本土空襲について米国戦略爆撃調査団によって報告
書が作成されまとめられた。サンフランシスコ講和条約によって
日本国政府がアメリカへの補償請求権を放棄したことで、無差別
爆撃を含む日本本土空襲に関する補償も行われることはなかった。
しかし、連合国軍による無差別爆撃による民間人の大量虐殺に関
しては戦時国際法違反であることが指摘されている。国外でも、
アレクサンドル・パノフ(元駐日ロシア大使)が「米国は、日本国
民に対して少なからぬ重大な戦争犯罪を行いました。1945年3月10
日の東京大空襲では一日で10万人以上の民間人が亡くなり、大阪、
名古屋、その他の都市もそうした空襲に見舞われ、1945年8月の6日
と9日の広島と長崎への原爆投下ですべてが終わりましたが、地表か
ら消されたそれらの都市は、事実上、何ら軍事的意義を有してはい
ないのでした」と述べている」
割愛します。
そもそも「フリーダムビトレイド」など、日本に関する限りは荒唐
無稽そのもので、論じるほどのものでもないが、藤井氏は同じテー
マを2度も3度も出してくるので、一応、反駁しておく。
1つ目「日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズ
ベルトが日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因
ではない」
2つ目「41年の日米交渉では、ルーズベルトは日本側の妥協を
受け入れる意図ははじめから全くなかった。彼は日本側の誠実
な和平の努力をことごとく潰した」
以前のブログでも書いているとおり日本陸軍の石原莞爾の言説か
らも日本の侵略が原因だったことは明白。また、日米交渉の直接
の当事者でなかったフーヴァーが確認もせずに自分の主観をその
まま書いていると思われる「日本側の誠実な和平の努力をことごと
く潰した」などと敵国のことを肯定するのは通常有り得ないが、
ここまで歪曲するのはフーヴァーの大統領選の歴史的大敗の悔し
さが原因で、しかし、これほど意地汚くなるのかと思うと唖然と
する。
そして3つ目「アメリカは45年に『原爆を投下せずに日本を降伏
させることができた』ということです。『原爆投下の罪は、アメリ
カ人の良心の上に重くのしかかっている』とまでフーヴァーは言っ
ています」
結果から見て「原爆を投下せずに日本を降伏させることができた」
かもしれないし、そうであってほしかった。原爆投下に至るアメリ
カ政権内部の論争や駆け引きは、先のブログで紹介した通りだが、
そのことはNHKスペシャルでも放映していたと記憶している。投下
地点を当初は京都にして、大統領の裁可を得ようとしたが、「京
都には軍事施設がないではないか」と大統領から指摘を受け、
変更して軍港がある広島を申請したが、大統領から市民を巻き添
えにしないようにと注意があったのに、軍関係者は、大統領に
「軍事施設だから心配ない」というような虚偽の報告をして、ト
ルーマンの承認を得て、広島市の中心部に原爆を投下したという
放送だったような気がする。
その中心人物が、先のブログで紹介したジェームズFバーンズだっ
たのかもしれない。念のためバーンズをネットで検索したが、特
筆すべき記載はなかった。しかし、ネットを調べているうちにトル
ーマンは原爆投下を承認した記録がないという。後年、発見された
記録から原爆投下はトルーマンの承認を得ず実行されたようだ。
その主犯が原爆開発の責任者レズリー・グローヴスという人物であ
ることが分かった。
その記録
「グローブスは、1942年から大規模の原爆計画であるマンハッタン
計画の最高責任者に就任。この計画に22億ドルもの国家予算が注ぎ
込まれ、各地に大規模な工場や研究所を建設し、原爆の完成を目指
した」
「・・・スティーブンス工科大学のアレックス・ウェラースタイン
准教授によると、「誰もルーズベルトが亡くなるとは思っていませ
んでした。トルーマン自身も大統領になるとは思っていなかったの
で、軍とのやりとりの方法やルーズベルトが諸外国と何を交渉し、
約束したのかを学ばなければなりませんでした。多くのことを一度
に把握する必要がある中、孤立状態にあったのです。解決すべき難
題が多く、原爆もその1つにすぎませんでした。」という。・・・
グローブスは「(トルーマンが)大統領に就任する前既に原爆投下に
向け多くの準備が整っていました。一方でトルーマンには原爆の知
識はほとんどありませんでした。」と説明した」
「そんな中、グローブスがトルーマンのもとを訪れた2日後の1945
年4月27日にグローブスは、原爆を日本のどこに投下するか話し合
う、『目標検討委員会』に出席した。ここに大統領だったトルーマ
ンやその側近は出席していない。話し合いの結果以下の17か所が選
ばれた(川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉
、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本)。その中で
、京都と広島が有力候補に上がり、グローブスは京都を上げた。そ
の理由についてグローブスは、「京都は外せなかった。最初の原爆
は破壊効果が隅々と行き渡る都市に落としたかった。」と語ってい
る。
「そしてその3日後グローブスは、陸軍長官のスティムソンに呼び
出された。目標場所を答えたところ「京都は認めない。」と言わ
れた。その訳がコネティカット州にあるイェール大学の図書館に保
管されていたスティムソンの日記で明らかになった。6月6日付けの
日記にはこう記されている。「この戦争を遂行するにあたって気が
かりなことがある。アメリカがヒトラーを凌ぐ残虐行為をしたとい
う汚名を着せられはしないかということだ。」。実はスティムソン
は京都を二度訪ねたことがあり、原爆を投下すればおびただしい被
害者がでることを知っていた。スティムソンは、この頃勢いを増し
ていた日本への爆撃が、全世界が非難する無差別爆撃に当たるので
はと考えていた。これ以上アメリカのイメージを悪化させたくなか
ったのだ。しかしグローブスは、諦めることなく何回もスティムソ
ンと交渉をしたが、結果は同じだった。歴史学者によると、「都市
の真ん中に原爆を落とし、市民を殺戮する計画にスティムソンは反
対でした。戦争で市民の死は避けられないことは分かっていたが、
意図的に市民を狙って殺すことは別だと考えていたのです。そして
トルーマン政権は、軍に突如介入し、まったをかけたのです。」と
述べている。
トリニティ実験の5日後の7月21日スティムソンの元に部下から緊急
の電報が届いた。グローブスらが再び京都を目標とするように言っ
てきた。その3日後スティムソンは、トルーマンに相談し、京都を
目標から外すよう話した。スティムソンの7月24日付の日記には
「私は京都を目標から外すべきだと大統領に伝えた。もし一般市民
が暮らす京都に原爆を落とすという理不尽な行為をすれば、戦後和
解の芽をつみ、日本が反米国家になってしまうと。すると大統領は
『全く同感だ。』と答えた。」と記されていた。」
web記事を読んでいて次第に腹が立ってきた。
「レズリーしつこいぞ」
「また、トルーマンの7月25日付の日記にも「この兵器は7月25日
から8月の間に使われようとしている。私はスティムソンに兵士や
軍事物のみを目標とし、一般市民、特に女性や子供をターゲットに
することがないようにと言っておいた。いかに日本人が野蛮、冷酷
、残虐であろうとも世界平和を推進するリーダーたる我々が日本の
古都や新都に向けてこの恐るべき爆弾を使用するわけにはいかない
のだ。この点で私とスティムソンは完全に一致している。目標は軍
事基地のみに限られる。」と記されている。つまり、トルーマンは
市民の上への原爆投下に反対していたのだ」
「しかしグローブスは、それでも原爆による最大の破壊効果を得た
いが為にもう一つの有力候補に上がっていた広島に目をつけた。グ
ローブスは広島は軍事都市であると偽りの報告書をトルーマンに提
出した。
「広島は日本有数の港と軍事物資の供給基地など軍の大規模施設が
集まる陸軍都市である」とのこと。これについて歴史学者の一人
は、「軍は原爆によって一般市民だけを攻撃することはないと見せ
かけたのです。トルーマンは広島について詳しく知らなかったと思
います。調べる暇がありませんでした。京都と広島の違いを拡大解
釈し、広島に多くの一般市民はいないと思いこんだのです。」。そ
の結果、トルーマンが目標から広島を外すことはなかったという」
グローヴスは、なぜ大統領に虚偽の報告をしてまで、日本人を原爆
で大量殺戮することに拘ったのだろうか。
色々説がある。日本軍の宣戦布告のない真珠湾攻撃や中国重慶への
無差別爆撃に対する米国軍人の憎悪等もその一つだという。
「京都は外せなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々と行き渡る都
市に落としたかった。」のレズリーの言葉。
この言葉はレズリーが日本人を白人と同等レベルの人種とは見てい
なかったから、殺戮のモルモット的な扱いで「破壊の効果」のみに
拘ることになったのではないか。
ここで「良心」とは何かを考えざるをえなくなった。
スティムソンは明らかに「良心」があり、レズリーには任務遂行の
意思だけで「良心」の欠片もなかったと言いたいが、果たして、そ
うなのか。
ヴィクトル・ユーゴ―が「レミゼラブル」の中で、「良心」につい
て格言めいた言葉を残している。
「良心とは学問の量である」確かこういう言葉だったと記憶してい
る。だったら
「ワシントン大学、マサチューセッツ工科大学を経て、1918年に陸
軍士官学校を卒業。その後、陸軍工兵隊に入り、1921年まで技術将
校としての訓練を積む。1934年には大尉に昇進し、陸軍工兵総監司
令部に勤務。1936年には指揮幕僚大学、1939年には陸軍大学をそ
れぞれ卒業。1940年には大佐となり、国防総省庁舎の建築計画に携
わる」という素晴らして来歴を持っているレズリーも、それなりの
「良心」を持っていたはずだが、残念ながら、それは祖国アメリカ
に忠誠を尽くすというレベルの「良心」に過ぎなかったのではない
か。
しかし、大統領を欺くというのは「反逆罪」のはずだが、レズリー
は、それを「平然」と執行した。なぜか?トルーマンが原爆について
全く知識がなかったうえ、大統領としてのカリスマ性がもまだ身に
ついていなかった為だろうか。
そのような犯罪行為を犯してまで原爆投下を執行したのは、アメリ
カ人の日本に対する「憎悪」が激しかったのかもしれないが、原爆
投下後、レズリーは処罰されることなく昇進している。そして「19
48年1月には中将となるが、その1ヵ月後に陸軍を退役した」とある。
しかしアメリカは原爆の「効果」について検証しているはず。にも
かかわらずレズリーの独断は許されたということになる。スチムソ
ンやトルーマンの「良心」は、ただの「気持ち」だけだったのか。
これを放置した以上、アメリカの国家としての「良心」は、どうな
ったのかと問わざるを得ない。
もし藤井氏ら右派論客の唱える「反東京裁判史観」が勝者の一方的
な裁判で、連合軍が行った広島・長崎の原爆投下による大量虐殺、
東京大空襲の大量虐殺は不問に付したことに反対するということで
あるならば大いに賛成だが、「反東京裁判史観」をもって歴史を歪
曲することは、将来の米国に対する賠償請求を無にするものだ。
しかし、以下にweb記事があった。
「終戦後、日本本土空襲について米国戦略爆撃調査団によって報告
書が作成されまとめられた。サンフランシスコ講和条約によって
日本国政府がアメリカへの補償請求権を放棄したことで、無差別
爆撃を含む日本本土空襲に関する補償も行われることはなかった。
しかし、連合国軍による無差別爆撃による民間人の大量虐殺に関
しては戦時国際法違反であることが指摘されている。国外でも、
アレクサンドル・パノフ(元駐日ロシア大使)が「米国は、日本国
民に対して少なからぬ重大な戦争犯罪を行いました。1945年3月10
日の東京大空襲では一日で10万人以上の民間人が亡くなり、大阪、
名古屋、その他の都市もそうした空襲に見舞われ、1945年8月の6日
と9日の広島と長崎への原爆投下ですべてが終わりましたが、地表か
ら消されたそれらの都市は、事実上、何ら軍事的意義を有してはい
ないのでした」と述べている」
割愛します。