上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

まったりユズジャム

2025-02-01 17:02:55 | エッセイ


ユズが出回っている時期、
いつも行く八百屋さんで一盛りのユズを安く手に入れた。
「ユズ味噌田楽でもしようか」
「茶碗蒸しに使おう」
ぐらいに考えていたら、
今度は義姉から我が家にしては大量の柚子をもらった。
「えー、何にしよう!」

プレーンヨーグルトにジャムを入れたいけれど、
「市販のジャムは甘すぎるしなー」と思っていた矢先のこと。
思い出したのがいつかの新聞の切り抜きだ。
「このユズジャムなら簡単で私にもできそう!!」と切り抜いていた読者の投稿記事である。
資料の中から探して、探して、やっと見つけた!

投稿者も10年以上前に新聞で見つけた投稿記事とのこと。
ユズの皮も実もタネもすべて使う、無駄がなく簡単に作れて、
なめらかでとても美味しいジャムだという。
「これこれ、これやん!」

嬉しくなって、さっそく取りかかる。
用意するのはユズの重さの6割ほどの砂糖だけ。
①皮をむいて皮と房に分け、皮は5ミリ程度に刻む。
②房もバラバラにしてザクザク。種も一緒に鍋に入れ、水はひたひたより多めに入れて火にかける。
③煮立ってきたら、砂糖を2回に分けて入れる。
私は待ちきれず時々木べらでやさしくかき混ぜた。
しばらくしてとろみが出て、鍋底にくっつき出したら火から下ろす。
残る作業は、種を箸で取り出すだけ。冷めたら出来上がりだ。

あっという間に透き通った薄黄色のジャムになった。
種にはゼラチン質があって、美しいとろみをつけるその力の偉大さも初めて知ったこと。
この種を取る作業が面倒と、袋に詰めて煮たりすると失敗するらしい。

空き瓶に詰めると、なぜか愛しい宝石箱(瓶?)のよう。
砂糖は少し少なめにしたが、適度の甘さに清々しい苦味が加わって、
簡単に上質のジャムが完成した。ほんとうに美味しい!

きっと昔から語り継がれてきたおばあちゃんの味なんだろう。
見ず知らずの人から教えられ、つながっていく素朴で忘れられない味。
投稿者も、教えてもらった投稿者に感謝しながら毎年作っているそうだ。
温かいつながりがジャムの味を格段に上げる。
来年も作りたくなる手軽さと味わいだ。
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豆もちづくり

2025-01-11 17:35:25 | エッセイ

毎年暮れになると、お正月準備で慌ただしい。
一応、お節は秋のうちに注文しておくが、
黒豆煮、きんとん、高野豆腐、蕪のなます、鯛の子煮は手づくりが自分の決め事。
そして、いちばん時間をとられるものの楽しみでもあるのが豆もちづくりだ。

実家では、昔から毎年暮れになると「お餅つき」が大イベントだった。
母は前日からたくさんの餅米を水につけ、重い石臼やら餅をつく杵、3段の木製蒸し器、
ついた餅を丸める餅台、できた餅を並べる沢山の「もろぶた」
(麹蓋/浅い木箱で本来は酒造りに使われていたよう)などを準備し、
家族全員どころか、仕事関係の人も混じって賑やかにガチャガチャととり行なわれた。
『あー、いろんな人の懐かしい顔が浮かんでくるなあ……』

私自身、その雰囲気を忘れたくないのだと思う。
ある日、新聞で豆もちはすり鉢を利用すれば、
家で簡単にできるという記事を見て、嬉しくなって始めたのが恒例になった。

用意するのは、黒豆と餅米、塩、モチ取り粉の代わりの片栗粉、水だけ。
使う道具は、すり鉢とすりこぎ棒、餅台やもろぶたの代わりにワインの木箱の蓋を利用する。
当日、前の晩から水につけておいた黒豆をコトコト煮ておけば、さあスタート。

餅米を洗ってすぐに炊飯器で炊き、炊き上がったらすり鉢へ。
お餅をつく要領ですりこぎ棒でついていく。水で湿らせたシャモジで適当に混ぜながらトントン。
間で塩を指で摘んで2〜3回ふりかけ、炊いた黒豆も適度に入れて、またついていく、トントン。

何回か繰り返せばもう出来上がり。豆もちは米粒が少し残るくらいの荒さで充分。
それを数等分して片栗粉を敷いた餅台に移し、手のひらにも片栗粉をつけて丸い長方形に成形していく。
素人でも嬉しくなるほどの出来上がりだ。
餅米の量に合わせて、この工程を何度か繰り返せばOK。

2日ほど涼しい場所で寝かせ、包丁で適当に切って完成となる。
完全に乾かないで少し包丁についたりするが、それも愛嬌。
焼いた豆もちは柔らかくて香ばしく絶品だ。

みんなが美味しそうに笑顔で食べるのが嬉しくて、毎年の行事にしてしまった。
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胸のつかえ

2024-12-16 10:53:22 | エッセイ


人生では自分の意思に関係なく、白か黒かどちらかに決まってしまうことがある。

最近、近くのクリニックで市の乳がん検診を受け、要精密検査の通知をもらった。
検診時にマンモグラフィー の画像に前回より少し変化があると告げられていて、
もしかしてという思いはあったのだ。
だが、実際に通知を手にすると、いつもよりずしんと重く、その重さは心持ちにもずしんと響いた。

1週間後に市内の総合病院で再検査へ。
周りも検査の人ばかりのようで、受付の時点から妙な緊迫感が漂っていた。
まず順番待ちをして医師の診察を受け、マンモとエコーの検査へ向かう。

順番がくるまで、ドア上に表示されるナンバーと自分のナンバーを確認するのみ。
40〜50代からかなりの高齢者までさまざま。夫が付き添う人もいる。
ただ、自分の結果だけに集中していて、人のことはあまり気にならない。

私はマンモの調子が悪いからと先にエコーへ。
検査室も順番待ちで、椅子の確保も要領良さが必要だった。
名前を呼ばれて中に入り、検査を受ける。
問題があるのは右側ということもあり、右側が丹念すぎるぐらい丹念にエコー機が動かされ、
「ああ、これは何かあるぞ」と自分に言い聞かした。
終了時、黙っておられない性分の私は我慢できず、技師の女性に聞いてしまった。
「やっぱり、何かありましたか?」
「ここではお答えできません」
と、冷静なお返事。
「そりゃあそうだ」と自分に言って聞かせた。

続いてマンモへ。ここはすぐに呼ばれた。
甚平型の患者衣に着替え、機械の前に立つ。
技師の言うままの姿勢にしても変に力が入ってしまい、何度も何度も注意される。
左右からだけでなく、上下からも撮影。
やっと終わりかと思うと、右だけもう一度と言われた。
「ああー、やっぱり!」

落胆と不安を抱えながら、また診察室へ。
ここでさらに順番待ちである。
「覚悟しよう、しよう」と自分に言い聞かせながら待つ。
時間潰しに本を持っていたが、冷静に文字を追うような余裕はない。

やっと番号が出て診察室に入ると、
「待たせてしまってごめんなさいね」と若い女医さん。
画像を見せながら、
「お持ちになったのはこの画像ですが、今日の検査はこれで異常ありませんでした」
「えっー!  大丈夫なんですか?」
「はいそうですよ(笑顔)」
嬉しいはずなのに、覚悟していた分、拍子抜けしてしまい不思議な気持ちになった。

すべて終え、精算待ちをしている時も考えてしまった。
結果が逆な人もたくさんいる。一線のどちらに行くかは誰も分からない。
この一線の右か左かで人生も大きく変わるのだ。

今回、再検査までの1週間も不安で揺れ動いた。
その時、助けられたのが友人が困難に直面していた時、ぽろっと言った言葉だ。
「何か起きたら、その時考えよう!」
先から一人で心配しすぎないで、考えすぎないで、結果が出てからいい案を一緒に練ろうと。
もちろん患者の意思だけではどうにもならないこともあるけれど、進むべき方向は決められる。
それにしても、
胸のつかえが下りた半日だった。
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「もったいない」

2024-11-12 10:26:59 | エッセイ


絵本『もったいないばあさん』のシリーズで人気の
絵本作家・真珠まりこさんのお話を聞く機会があった。
20年前、4歳の息子さんから「もったいないって、どういう意味?」と
聞かれたことがきっかけで誕生した絵本だそうだ。
以来、もったいないばあさんの絵本は17冊を数え、
もったいないばあさんのキャラクターは世界各国で愛されている。

『もったいないばあさん』は、
ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが
日本の「もったいない」の精神に感動し、
MOTTAINAIキャンペーンを始めた前に誕生している絵本というから、さらに嬉しくなった。

私自身、親から「もったいない」の精神を叩きこまれて育った世代だ。
大正生まれの父は誠実で穏やかな人だったが、無駄遣いをそれは嫌った。
お刺身を食べる醤油は、「最後の一切れを食べ終わる時点でなくなるだけの量に」という人だった。
焼き肉用のタレも、水炊きのポン酢も同じで、声に出して注意はしないけれども、必要量以上に使うのを嫌った。
ちょっと長電話をしていると、父の視線が気になった。

お陰で 習性というものは恐ろしい。
ティッシュ1枚も無駄に使いたくない。ラップもパッパと使えない。
自然にもったいないと思ってしまうのだ。
シャンプーも歯磨き粉も、マヨネーズも、逆さにして最後の最後まで使わないと気が済まない。

今回「もったいない」という言葉に出会って、
子どもたちの手が確実にぶきっちょになっているという記事を思い出した。
昔の日本人の暮らしと比べて、手先の動作が極端に減っているのだ。
お箸がきちんと持てない、小刀で鉛筆が削れない……。

そういえば、少し前まで石けんは自分で泡立てるものだったし、
学校では雑巾掛けがあったので、雑巾は手で絞らなければならなかった。
幼い頃の遊びも、おはじきやメンコ、お手玉、影絵、着せ替え遊びなど手遊びが多かった。
手や指は第二の脳を呼ばれ、大脳とつながっていて脳の活性化につながっているという。

以前、子どもの教理教室を取材した時も、
子どもの手先の器用さが失われているという話を聞いた。
子どもは誕生後、成長段階に合わせて自然にいろんな行動ができるものではなく、
自分の意思で「つかむ」「口に入れる」など、手や体を繰り返し動かすことで動作を獲得していくというのだ。
だから、子どもが小さいうちから、洗う、切る、まぜる、こねるなどの台所仕事を一緒にさせると、
手の動きだけでなく、においを嗅いだり、味わったりして五感が鍛えられるそう。
 
今の子どもたちは小さい頃から器用になる要素を奪われているのかもしれない。
携帯やゲーム機の使い過ぎで、親指ばかりが発達したらどうなるのだろう。
便利すぎて「失うものも大きいなあ」とつくづく思う。
これこそ「もったいない」話である。
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「緩和ケア」って?

2024-09-03 15:20:15 | エッセイ


久しぶりに緩和ケア医(ホスピス医)である関本雅子さんに取材させてもらった。
関本先生は関西での緩和ケア医として先駆者的な存在で、
これまで在宅患者さん4000人近くを看取ってきた医師。

24時間の訪問診療を続けてこられた方で、
がん治療などに伴う心身ともの「苦痛」「痛み」を取り除く医師だ。

ご長男も母の背中を見て同じ緩和ケア医となられたが、
クリニック院長を譲られた矢先のこと。
肺がんを発症し、2年半の闘病で亡くなられた。

母親である関本医師たちの行き届いた緩和ケアで、
闘病中もずっと仕事を続け、家族や友人たちとも楽しい時を持ち、
自分の葬儀の準備までされての旅立ちだった。
この辛い体験で関本先生は、「症状緩和の大切さを新たに痛感した」と話しておられた。

しかし、緩和ケアの大切さは一般的にはあまり広まっていない。
多くの人は、がんなどで治療不可能になって行うものと思われているようだ。
関本先生によれば、「治療とともに始まるのが緩和ケア」だそう。

私は父をはじめ、「がんに痛みはつきもの、ガマンするしかない」
という現実を見てきたので、まるで夢のような話だった。

現在、仮に総合病院でがん治療を行いながらも、
普段の痛みなどは連携する地域のクリニックで診療してもらえる。
がんだけでなく、苦痛を伴うほかの病気の場合も同様だそう。
関本先生のクリニックはそういう場。

ただ、緩和ケアができる医師はまだまだ少ない。
近所で探したい場合は、ムック本『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』(朝日新聞出版)で、
緩和ケアができるクリニックを参照とのこと。

先生に教えられた。「生活背景まで大切にしてくれる医師を選びなさいね」

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