上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

7月 食器棚

2021-06-29 21:05:59 | エッセイ

父と母が逝って、もう30年と20年。
父も母も、もうずいぶん遠い日々の存在になってしまった感覚だ。
それなのに、
自分自身が高齢者となって、ことあるごとに思い出すのが幼い頃の両親の姿である。

大きな材木を片手に、半ズボンの仕事着姿で笑っている若い父の顔が蘇る。
「お父さんも若かったなあ……」と。

建具店を営んでいた我が家は、店と住まいの間に作業所があって、
いつも木材を切る機械の音や、金槌を打つ音などが、BGMのように住まいの方に聞こえていた。
父や職人さんが働く姿が日常にあったのだ。

職人さんは一つの仕事が終わると、父の元に来ては「次は何をしますか?」と尋ねていた。
そこで、父は綿密な設計図どころか、薄い紙にサッサと手書きした簡単な建具や家具の図に、
寸法だけを入れたものを手渡していた。
それで、なぜしっかりとした建具ができるのか、父に聞いておくべきだった。

よく覚えているのは、一人の職人さんが七輪に弱い火をおこし、
1本の棒を日がな一日あぶっている姿である。
木をジワジワときっとゼロ点何ミリずつ曲げていく「曲げ木」の木工技法だ。
たとえば額縁や家具の角の部分、椅子の丸い背もたれ部分などに使われるもの。
作業所には、大小の木材が立てかけられ、カンナなどの道具類もズラリと並んでいた。
その光景は、私の原風景でもある。

そういえば、もう何十年も使っている私の仕事机も、
「ボックス2つに、上に長い板を置くだけのものでいいから」と、
父(正確には職人さんか?)に作ってもらったものだ。

すぐ隣に置いている資料入れは、
やはり父が作った自慢のヒノキの水屋である。
本来なら茶道具などを入れる風流な家具なのだろうが、
私は自分の作品や雑誌の切り抜き、各種資料、伝票などを申し訳ないほど押し込んでいる。

金具類は一切使っていない、木組みの水屋だ。
観音開きなっている扉も、木ねじを、くり抜いた穴にはめ込むだけで、
寸分の狂いもなく開け閉めできる。
指物師だった祖父から父に、そして職人さんに受け継がれた「技」なのだろう。

そう考えながら、
遠くにいってしまったと思っていた父が、
随分近くで見守ってくれていたことに改めて気づかされる。
父も父で、「やっと気づいたんか?」と笑っているのではないか。

さらに、である。
結婚する時にも、和ダンス、洋服ダンス、食器棚の3点を父に作ってもらった。
姉たちがピカピカの婚礼家具なるものを揃えてもらっていたのを見ていたせいか、
私はもっとシンプルでおしゃれな家具が欲しかった。
ちょうど雑誌『アンアン』で紹介されていた、洋風なごげ茶の木肌の家具の写真を父に見せて、
こんな感じでとお願いしたものである。
実際に作ってくれたのは家具職人さんではあるが、父の想いも充分染み込んでいる。

毎日バタバタと忙しく暮らす中で、
そんあ素敵な家具に包まれて暮らしていたことも、改めて気づかされる。

父の温もりが籠もった生活用具と、両親が亡き後も一緒に暮らしているなら、
両親に包まれて暮らしているようなものである。
そんな重大なことに今の年齢にならないと気づけない、愚かな私である。
しみじみと思う、父と母のありがたさ。
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6月 カビ退治

2021-06-12 17:52:29 | エッセイ

梅雨の季節だというのに、
我が家の近辺では、まだウグイスが爽やかな声で鳴いている。
昼間は30度にもなる日もあって、どこで生息しているのだろうと心配になってしまう。

この季節になって気になり始めるのが、ウグイスの鳴き声とは真逆のカビの存在だ。
我が家も結構長い間、カビに悩まされている。
娘たちが巣立ち、年中エアコンを使わなくなった北西向きの一室に数年前から、
カビがはびこりはじめたのだ。

専門家に調べてもらうと、外に面した壁部分に断熱材が入っていないことが分かった。
そこで、その面に断熱材を入れてもらって壁紙も貼り替えた。
それなのにである。

冬を越して、断熱材を入れていないサッシ部分の壁にポツリポツリとカビが顔を出し始め、
ジワジワと領域を広げていったのだ。
ネットで検索し、いろいろなカビ退治にトライしてみたが、反応は鈍い。
もう根負けしてしまいそうだった。

そんな時、あるコーナーで紹介されていたのが「カビ○○侍」。
聞き慣れたカビ取り剤より高額でネット販売だけだったが、
ここの紹介ならと買ってみた。

使ってみると、いい感じ。
でも、液が垂れてしまうので、
販売元に「ハケで使っても大丈夫ですか?」と問い合わせると、
すぐに届いたのが、「プロはハケで使用しています」という返信。
早速、百均でハケを購入して、カビ退治に突入した。

液を使い捨ての容器に移し、ハケで塗布していく。
すごい! 
すごい!
すべて完璧とまではいかないものの、他では到底見られなかった効き目である。
軽いカビが広範囲に広がっているので時間はかかるが、
「ありがとうございます」とハケを使いながら、販売元に頭を下げさせてもらった。

この爽快感は、どう表現すればいいだろう。
えんぴつで書いた文字を特別よく消える消しゴムで完璧に消した感じか、
あるいは、
レンジにこびり付いた油汚れをすべて拭き取り、ピカピカにした感じとでもいうのだろうか。
快晴の日の雲一つない青空のように気持ちいい。

形を変え、勢力を増して、どんどん人間社会に侵略してくるコロナウイルスも、
こうしてハケで消していけたなら……。
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6月 安心って?

2021-06-01 14:57:57 | エッセイ

暮らしていく上で「安心」という言葉の意味は大きい。

家族内での小さなもめ事や、仕事での人が気づかないような失敗でも、
自分の心に「不安」が存在すると、何の理由がなくてもなぜかふつふつと増殖していく。
思わずため息をついてしまう。
そうなると大好きなビールを飲んでも美味しくないし、
朝まで熟睡するタイプの私も、夜中に何度も目を覚ましてトイレに行く。

認知症の人も、
症状が出始めの頃は自分自身の変化に不安でいっぱいになられるという。
なぜか日にちが分からなくなる。
約束を忘れてしまう。
さっきカギをしたはずなのに、もう1回見に行ってしまう。
いつも歩き慣れた道なのに、家はどっちだったかなと考えてしまう。

こういう時に、
「何してんの!」
「違うやろ!」
「何回言うたら分かるの?」
ではなく、

「何か心配事があるの?」
「できないことがあったら、代わりにするから大丈夫やで」
などと近しい人に言ってもらうと、不安は「安心」に変わるそうだ。

認知症になって、自分の日々の変化を認識するのは7割ぐらいの人らしいが、
安心できると、認知症の進行もかなり遅らすことができると専門医から聞いた。
安心とは、生活していく上でとても大切な心の安定へとつながっていく。
不思議なことに自然と笑顔が生まれてくる。

それなのに、
国のリーダーに
「安心・安全なオリンピックを」
「安心・安全な暮らしのために」
「安心・安全な社会を目指して」
と、精気のない声で、しかも棒読みで、何百回も繰り返されると、
安心・安全にモヤどころか、濃霧がかかってしまって、
かえって不安にさせられる。

なぜ安心・安全にできるのか。
どうすれば安心・安全になるのか。
どうなることが安心・安全なのか。
具体例を挙げてしっかり説明してもらえたら、
私たちも頑張らなければ、もっと応援しようという気持ちになれるのに……。

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