上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

12月 師走2 

2019-12-20 15:08:51 | エッセイ
街の中ではクリスマスソングが流れる季節。
「帰国したから」と、数年ぶりに1本の電話をもらった。
写真家で映像作家でもある井上廣子さんからだ。

文化庁の文化交流使としてドイツでの制作を開始して以来、その後はゲストアーティストとしてドイツから迎えられ、
あちらにアトリエを構えて、もう10年数年。日本とドイツを行ったり来たりの生活が続いている。

以前、取材させてもらったのがきっかけで、親しくなった。
個展に伺ったり、おうちにお邪魔してワインを楽しんだりしたことも。
その世界では名を馳せるアーティストで、仕事的には遠い遠い存在の人なのに、なぜか波長の合う人。
もの言いもソフトで、優しい笑顔の持ち主。お人好しで、どんな話にも興味津々で耳を傾けてくれる人。

だけど、いざ仕事となると脇目も振らずに異次元に行ってしまうような人なのだ。
ある時など、作品に樹脂を使うと決めたら、
レーヨン会社に直談判し、工場に手弁当で数週間通いつめたという話を聞いたこともある。

戦争、大災害、バイオレンス……社会の枠から排除された弱者など
社会的なトラウマをテーマに、真摯に作品づくりに挑む。
言葉では簡単だが、弱者に自分自身を重ね合わせて、同じように悩み、苦しみ、
「人間とはなんぞや!」と問いかけるのだ。
現在は、さらに神経を研ぎ澄まし、自然と環境をテーマに光や水を撮り続けているそうである。

私など、井上さんとの世間話ではぐっと盛り上がるのだが、
いざ作品の話になると付いていけなくなり、その一生懸命さに飲み込まれるように話を聞くしかない。

お正月は日本で家族と過ごし、またドイツに向かうという彼女。
抱えきれないほどのやらなければならないことが、ドイツで待ちかまえているんだと熱く語ってくれた。

電話を切った途端に、「ドッカーン!」。心にパンチをもらった。
彼女は私よりほんのわずか年上。
電話のベルがなるまで、自分の年齢のことを理由に、「やってみたいけれど、この仕事はもう無理かな?」と
後ろ向きな思いを巡らしていた私。急に恥ずかしくなった。

井上さんに、大きな「喝!」を入れられた気がしたのだ。
さあ、また立ち上がろう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月 師走

2019-12-08 15:24:45 | エッセイ

師走に入ると、なぜかふっと巡ってくるのが、
北海道新聞で2年ほど連載したエッセイ「大阪おばちゃんが行く」だ。
延べ100パターンほどの大阪のおばちゃんの暮らしを描いたもので、ちょうど10年前の年末に終了した。

よく言われる、ど厚かましくて強烈な大阪のおばちゃんではなく、
親しみやすくて人情に厚く、おしゃべりな上に世話好きで、愛想よしの反骨精神旺盛なおばちゃんたちを登場させた。

私が初めて「おばちゃん」と呼ばれたのは、姪っ子(8歳上の姉の長女)が生まれて、しゃべり出した時。
まだ短大生だというのに「よしこおばちゃん」なんて呼ばれたときには、
「な・あ・に?」と愛らしく笑顔で応えていたものの、そりゃあ複雑な気持ちだった。

その次が、結婚して長女が生まれ、お友だちと遊び始めた時期である。
近所のよちよち歩きの子どもたちから、いきなり笑顔で「○○ちゃんのおばちゃん」と呼ばれるようになった。
25歳だった。
「あ~、娘のお友だちなら、なんとでも呼んでくれ~! もう、おばちゃんなんや」と観念した時である。
以来、次女も生まれ、私の中に「○○ちゃんのおばちゃん」は、あまりに自然に定着していった。

しかし、当時、自分にかけられる「おばちゃん」と、「大阪のおばちゃん」は、決してイコールではないと信じていた。
たとえ同じ大阪に暮らしていようとも、「大阪のおばちゃん」とは、すでに固定観念化された一つのブランドだった。
「まけてーな」が口癖で、駅の対面のホームからでも大声で会話ができて、「タダ」のモノに目がなく、
ヒョウ柄好みの派手好きで、電車では10センチの隙間があれば割り込み座りができて……と。

ところが、長女が成人して、結婚し、孫まで誕生した年齢になってくると、
若かったおばちゃんも、徐々に大阪のおばちゃんと化していく。
長い人生で酸いも辛いも経験し、転んだり、ぶつかったり、噛み付いたりしていると、
少々のことには動じず、めげず、へこたれず。
何があっても笑い飛ばして暮らしたほうが勝ちという、大阪のおおらかな渦のようなもの巻かれていった。
人間本来の優しさに巻かれることの心地よさを体感して、「まあ、ええやん」「しゃあないやん」
「かまへん、かまへん」と大阪のおばちゃんに自然になってしまっていった。
「大阪のおばちゃんも、なかなかええもんちゃう?」となってしまったのである。

この人こそ真の大阪のおばちゃんと感じたのは、以前取材させてもらった田辺聖子さんだ。
80歳を目前にした田辺さんは、「とてもいい人生を味わわせてもらっていて、
人生の美味しいとこだけを人差し指でぐ〜んとすくった感じ」と、絶妙の表現をされた。
「かつて大阪人といえば、お金もうけばっかり考えてる大阪商人の話が主流やったけど、
普通の大阪人って、そんなんやない。お金よりも、笑うて面白おかしく暮らそうやないかという人ばかりでしょ」と。
そして、「人生たくさん笑ったほうが勝ち」としめくくられた。
かわいく上品な声の優しい大阪弁で。

それ以来、ますます大阪のおばちゃんでまったく問題なしと思うようになった。
なんと自己肯定感の強いことか。
少々の悩みごとも「人生、笑うたもん勝ち!」と、おまじないをかけるように笑顔で前に進むことにしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする