上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

5月 マスク

2021-04-30 10:31:38 | エッセイ

およそ1ヶ月半ごとに通ってる美容室で、
「試着してもらっていいですか?」と手渡されたのが、ゴムのないマスク。
不織布の両端にテープが付いていて、ゴムなしで着用できる。
医療用テープなので、特別に敏感肌でない限り対応できるとのこと。
美容室専用の商品販売会社から勧められている商品だそうだ。

なるほど、コロナ禍とはいえ美容室でマスクは結構邪魔になる。
髪をカットしても、マスクをしていると美容師さんは左右のバランスが図りくいし、
カラーリングではカラーがヒモに付着して汚らしい。

美容室では、近距離での楽しいおしゃべりがサービスの一つ。
お互いに理解しているつもりでも、飛沫の行方が気になってしまう。
試着してみて、はめ心地(?)もよくて違和感はなく、「いいんじゃないですか」と伝えた。

外出する際、毎回マスクをするようになってもう1年。
コロナウイルスは変異しながら、ますます感染力を強化し、
私たちのマスクを強いられる生活はまだまだ続きそうだ。

しかも、私は軽い花粉症のうえに、寒暖差アレルギーもあって、
止まらないくしゃみに対抗するために、家でもマスクをする機会が多い。

マスクをすると鼻呼吸から口呼吸になりやすく、肩凝りや、腰痛、不眠など弊害も起きているようだが、
日本人は昔からマスクをする機会は多く、それほど抵抗なく始められたような気がする。
2〜3年前には、思春期特有の不安定な感情を隠したいのか、
風邪も引いていないのに中高生の間でマスクが流行していたっけ。

心理学の専門家によると、マスクへの抵抗感や慣れは文化による差があるそうだ。
コロナ感染が話題になり始めた頃、欧米人がマスクにかなりの抵抗があることを初めて知った。

文化の差の話を聞いてなるほどと思った。
人の表情の出し方は、東アジア人と欧米人とではかなり違うようなのだ。
東アジア人の表情は目元に、欧米人は口元に出やすく、
実際に人の目がいくのも、東アジア人は目元、欧米人は口元なのだそう。

だから、私たちは目元が認識できて、口を隠すマスクを抵抗なくできるんだと納得できた。
コロナ感染が急増しても、欧米人があれだけマスクを嫌がったのは、
表情や感情が汲み取れない気持ち悪さがあったんだと。
現代ではあまり違和感がなくなったサングラスも、
かつて日本ではサングラスをしている人をかなり不信に感じていたのもそのせいだったようである。

そういえば、
日本には「目は口ほどにものを言う」ってことわざもある。
欧米人が、手と口で感情を豊かに表現する様は誰でもすぐ目に浮かぶはず。
でもね、
コロナ禍では何人であろうと、とりあえずマスクはしようよ!

4月 行ってらっしゃい

2021-04-03 13:15:57 | エッセイ

新学期が始まった。
新しい制服や新調したスーツ姿の新入社員風の人を見かけると、
私の心にまで爽やかな風がサッと吹いて、なぜかウキウキ、嬉しくなる。

きっと家を出る時、親御さんは晴れ晴れしい気持ちで送り出されたことと思う。
「行ってらっしゃい!」と。
そして、ご本人も笑顔で「行ってきます!」。
帰宅時には、
「ただいま〜!」
「お帰りなさい!」

私自身、この言葉をこれまで何度繰り返してきたことだろう。

このあいさつは、毎日、毎回、その言い方や声の大小などで、
その人の気分までが伝わってくる不思議な言葉。
前日に少々口ケンカをしていても、朝、「行ってらっしゃい!」と元気よく送り出せば、
「はい、もう昨日のイヤなことはおしまい!」と切り替えることもできるのだ。

娘たちが学校に通っていた頃は、
「ただいま」の声だけで、心の中まで見えるような気がしたものだ。
<あ、なんだか楽しそう。いいことがあったんや>
<学校で何かイヤなことがあったんかなあ>
<えらい、太々しいなあ>
<何を急いでるんやろう?>
毎日、毎日違う表情をもつ不思議な言葉である。

岡山県の南西部で育った私は、子どものころ「ただいま」「~らっしゃい」という言葉に憧れていた。
テレビのホームドラマで流れる「ただいま」や「行ってらっしゃい」が、
すごく都会的でピカピカに光って聞こえたのだ。

我が家では、出かける時は「行ってきま〜す」、
両親は「行っておかえり」と送り出してくれた。
帰宅時には「かえりました」で、
「おかえり」と迎えられる、といった具合だ。
子ども心に地方特有の「地味感」をすごく抱えていた。

「行ってらっしゃい」の語源を調べると、昔は一度旅に出ると帰るのも命がけで、
「行ったら必ず帰ってきなさい」という気持ちがこめられていたそうだ。

ならば、両親が毎日送り出してくれた「行っておかえり」という言葉は、
「必ず元気に帰ってきなさいよ」という言葉がきちんと込められたいたんだと理解できた。
なるほど、である。
私が子どもの頃に毎日使っていた「帰りました」も、語源は「ただいま、帰りました」であろうから、
丁寧な言葉を使っていたのだと思うと妙に納得できた。
「ただいま!」とちっとも変わらないやん、と。

大阪の船場言葉として使われてきた、送り出すときの「おはよう、おかえり」も思わず微笑んでしまう言葉。
「用事が終わったら、無事に早く帰ってきてください」という思いが込められている、
大阪弁のやさしい言葉づかい。
「おはようさん」、「ごきげんさん」「お天道さん」、
「お豆さん」に「お揚げさん」……。
愛着のあるものには、何でも「さん・ちゃん」をつけてしまう大阪ことばならではの温もりも感じる。
そういえば、大阪人である夫の両親が存命のころは、「おかえりなはれ」と迎えられていたのを思い出した。

夫と二人暮らしになって数年。
「ただいま」から、様々な気持ちが汲みとれるなら、
「おかえりなさい」も言い方次第で、受け取るほうも随分心持ちが違うことだろう。
さあ、今日は夫をどんな「おかえり〜!」で迎えようか。