男はまだまだ複雑だった。
私は今度こそと、コピーライターがいるデザイン事務所を見つけて応募した。
応募とはいえ、スタッフ募集などしていない会社に電話で問い合わせ、
「一度会ってみてもいいよ」という社長の好意に甘え、
しかも、作品が1枚もない私は、何編かの自作の詩を持参して面接に向かった。
若い頃の恐いもの知らず、厚かましいだけの「ダメでもともと精神」である。
ところが、その突拍子さが新鮮だったのか、ただの使いっ走りが必要だったのか、採用されることになった。
ただし、給料はわずか2万円。コピーさえ勉強できるなら安いとも感じなかった純粋な頃である。
小さなデザイン事務所だったが、かなり大手の広告を手掛け、
社長が自称、ひと文字何万円という男性コピーライターだった。
カッコいいイラストレーターの女性から、
「勉強になるから、いいコピーやフレーズは何でもノートに書き写してみるといいよ」と教えられ、
そのノートは私の宝物となった。
コピーライターの見習いは、私を含めて4人。
大卒で春に入社したばかりという男性2人は、共に作家志望という異色派で、
我々に与えられたのは試練の連続だった。
まず、文字は原稿用紙に書くものだと思っていたら大間違い。
渡されたのは、学校でよく使ったワラ半紙を四つ切りにした紙と鉛筆と消しゴム。
毎回社長からテーマが与えられ、そのテーマについてまとめる作業だ。
コピーとは程遠い「書く」訓練が始まったのである。
でき上がると順番に、社長の机まで「猛獣にエサを与えるかのように」恐る恐る持っていく。
自分の前に同僚が怒鳴られまくるのをイヤというほど見せつけられているからだ。
伏し目がちに「お願いします」と原稿を手渡すと、
読み始めた社長の顔がみるみるうちに赤みを増していく。
そして、嵐のような罵声が飛ぶのである。
「こんなモンしか書かれへんのか! キミはもう少しはマシなモンが書けると思ってたのに! 何や、これは!」
「・・・・・・・す、すいません。書き直してきます」
何がどう悪いかも理解できないまま、オズオズと席に戻るのみ。
次にまた新しい紙がもらえるのではなく、
そのワラ半紙に書いた文章を消しゴムできれいに消してもう1度、いや、何度も何度も書き直す作業が続いた。
クサクサして消していると、勢いあまってよく破れたものだ。
そうなると、セロテープを裏から貼って使うのである。
しかし、面白い勉強法も教えてもらった。
突然、社長に呼ばれ、ビクビクしながら社長の席まで行くと
「これから出掛けるから、ついて来なさい」といわれる。
上着を手に、再びビクビクしながら、しかも愛想笑いを振り撒きながらついて行くと、
梅田の繁華街を抜けて映画館に連れて行かれたりする。
映画がタダで見られるなんて思うと大変なことになる。
題名も分からない映画を途中から観始め、
「この女優さんだれやったけ」なんて考えているうちに、
社長が突然「帰るぞ」と言い出し、途中で慌ててを立つ。
そして、急ぎ足で会社に帰ると、「今の映画について思ったことを何でも書きなさい」となるのである。
「エッー! あれだけで何を書けっていうのよ!」
などと口答えは絶対できない。
あらすじもよく分からない映画について、何を書いたらいいのか悩みながら、それでも鉛筆を走らす苦しみ。
書いても、書いても、書けるわけはなく、また例の繰り返しで罵声を浴びることとなるのである。
その社長に家からよく電話がかかってきた。
「◇◇ですが、主人はおりますでしょうか」
「はい、しばらくお待ちくださいませ」
たまにその電話を取り次ぎながら、ある日、声の主が違うことに気がついた。
社内での噂を取りまとると、ひとりは不倫相手ということだ。
原稿ひとつまともに書けない私なのに、それからは電話が鳴るたびに興味津々。
段々慣れてくるにつれ、不倫相手の回数の方が断然多いことが分かってきた。
こんなことを面白がっている私も私だが、
社員にはとびきり厳しくしながら、不倫相手にぬけぬけと職場に電話させる社長も社長である。
ありがたいことにコピーの勉強はかなりさせてもらったが、
「公私混同も甚だしい」と私の男を見る目はまたまた厳しくなった。
『こんな男もいるんだ』
どういう因果か、社会人としてスタートしたばかりの頃、
私の一生の相手にはこんな男だけはイヤだという人に、立て続けに3人も会わせてもらったのである。
私は今度こそと、コピーライターがいるデザイン事務所を見つけて応募した。
応募とはいえ、スタッフ募集などしていない会社に電話で問い合わせ、
「一度会ってみてもいいよ」という社長の好意に甘え、
しかも、作品が1枚もない私は、何編かの自作の詩を持参して面接に向かった。
若い頃の恐いもの知らず、厚かましいだけの「ダメでもともと精神」である。
ところが、その突拍子さが新鮮だったのか、ただの使いっ走りが必要だったのか、採用されることになった。
ただし、給料はわずか2万円。コピーさえ勉強できるなら安いとも感じなかった純粋な頃である。
小さなデザイン事務所だったが、かなり大手の広告を手掛け、
社長が自称、ひと文字何万円という男性コピーライターだった。
カッコいいイラストレーターの女性から、
「勉強になるから、いいコピーやフレーズは何でもノートに書き写してみるといいよ」と教えられ、
そのノートは私の宝物となった。
コピーライターの見習いは、私を含めて4人。
大卒で春に入社したばかりという男性2人は、共に作家志望という異色派で、
我々に与えられたのは試練の連続だった。
まず、文字は原稿用紙に書くものだと思っていたら大間違い。
渡されたのは、学校でよく使ったワラ半紙を四つ切りにした紙と鉛筆と消しゴム。
毎回社長からテーマが与えられ、そのテーマについてまとめる作業だ。
コピーとは程遠い「書く」訓練が始まったのである。
でき上がると順番に、社長の机まで「猛獣にエサを与えるかのように」恐る恐る持っていく。
自分の前に同僚が怒鳴られまくるのをイヤというほど見せつけられているからだ。
伏し目がちに「お願いします」と原稿を手渡すと、
読み始めた社長の顔がみるみるうちに赤みを増していく。
そして、嵐のような罵声が飛ぶのである。
「こんなモンしか書かれへんのか! キミはもう少しはマシなモンが書けると思ってたのに! 何や、これは!」
「・・・・・・・す、すいません。書き直してきます」
何がどう悪いかも理解できないまま、オズオズと席に戻るのみ。
次にまた新しい紙がもらえるのではなく、
そのワラ半紙に書いた文章を消しゴムできれいに消してもう1度、いや、何度も何度も書き直す作業が続いた。
クサクサして消していると、勢いあまってよく破れたものだ。
そうなると、セロテープを裏から貼って使うのである。
しかし、面白い勉強法も教えてもらった。
突然、社長に呼ばれ、ビクビクしながら社長の席まで行くと
「これから出掛けるから、ついて来なさい」といわれる。
上着を手に、再びビクビクしながら、しかも愛想笑いを振り撒きながらついて行くと、
梅田の繁華街を抜けて映画館に連れて行かれたりする。
映画がタダで見られるなんて思うと大変なことになる。
題名も分からない映画を途中から観始め、
「この女優さんだれやったけ」なんて考えているうちに、
社長が突然「帰るぞ」と言い出し、途中で慌ててを立つ。
そして、急ぎ足で会社に帰ると、「今の映画について思ったことを何でも書きなさい」となるのである。
「エッー! あれだけで何を書けっていうのよ!」
などと口答えは絶対できない。
あらすじもよく分からない映画について、何を書いたらいいのか悩みながら、それでも鉛筆を走らす苦しみ。
書いても、書いても、書けるわけはなく、また例の繰り返しで罵声を浴びることとなるのである。
その社長に家からよく電話がかかってきた。
「◇◇ですが、主人はおりますでしょうか」
「はい、しばらくお待ちくださいませ」
たまにその電話を取り次ぎながら、ある日、声の主が違うことに気がついた。
社内での噂を取りまとると、ひとりは不倫相手ということだ。
原稿ひとつまともに書けない私なのに、それからは電話が鳴るたびに興味津々。
段々慣れてくるにつれ、不倫相手の回数の方が断然多いことが分かってきた。
こんなことを面白がっている私も私だが、
社員にはとびきり厳しくしながら、不倫相手にぬけぬけと職場に電話させる社長も社長である。
ありがたいことにコピーの勉強はかなりさせてもらったが、
「公私混同も甚だしい」と私の男を見る目はまたまた厳しくなった。
『こんな男もいるんだ』
どういう因果か、社会人としてスタートしたばかりの頃、
私の一生の相手にはこんな男だけはイヤだという人に、立て続けに3人も会わせてもらったのである。