92歳まで長生きをした我が家の「福ばあちゃん」は、晩年、それはマイペースな暮らしぶりだった。
夜中、家族が寝静まると、なぜか目が冴えるらしく、お決まりの「夜遊び」が始まるのである。
テレビ番組がすべて終了すると、こおり砂糖をなめながらスタンドの灯りでひとり花札遊びをし、
飽きたところで腰湯を楽しんだ。
私が試験勉強でたまに遅くまで勉強をしていて、
寝る前に歯を磨こうと洗面所へ行くと、浴槽に何やら人の気配がするのだ。
そっとドアを開けてみると、真っ暗闇のお風呂で、腰湯をしている祖母と目があった。
「ああ、よっちゃん。気持ちええで」
と、素直に声をかけられたりすると、
返す言葉もなく立ち尽くしてしまうことがたびたびあった。
さらに、その後は夜中のお散歩だ。
ソッと裏玄関から出て、家の近所をひと回りといった感じである。
それだけなら問題もないのだが、時間も考えず誰それと話したいのが祖母の性分。
わが家は小さな駅前の商店街にあって、派出所やタクシー会社が近くにあった。
人好きの祖母は、灯りさえついていれば派出所のお巡りさんであれ、
深夜営業のタクシー運転手さんであれ、声をかけて回ったようだ。
翌日、その話を祖母から聞かされる家族は、
心のなかで「ご迷惑をおかけします」と頭を下げるしかなかった。
午後の日課もしかり。
昼食を終え、テレビの歌舞伎中継を観て、三波春夫のレコードを小さなプレーヤーで聴きあきると、
父が営む建具店の店先にマイ椅子を持ち出して座り込み、
暇つぶしに行き交う人を観察するのが常だった。
すぐそばにあるスーパーからの買い物帰りの人を見つけては、
「スーパーは、よう混んどりましたか」と話しかけ、
見ず知らずの人に「すいません、お兄さん。今、何時ですか」と聞いた。
また、お隣のご主人が暑さしのぎに店の前の道路にホースで水まきを始めると、
「ついでに、うちの前もお願いします」とくったくなく頼む人だった。
さらには、暇を持て余し、自然に始まるうたた寝。
冬はお天道さまに当たらねばと、わが家側の日が陰ると、向かいの化粧品屋さんの店先に移って、
まるでスポットライトを浴びるように、ひなたぼっこを楽しみ、うたた寝を繰り返した。
そんな祖母に「迷惑がかかるから」とひと言でもお説教をしようものなら、
どんな仕打ちが返ってくるか分からないことを知っていた母は、
「いつもすみません」「いつもありがとうございます」を、
ご近所へのあいさつ代わりとしていたようだ。
ある日、占いのおばあさんがわが家を訪れ、この祖母が「この家に『福』をもたらす人だ」と言われたことがあった。
その時は、家族のだれもがすぐには納得できなかったのだが、
それまでの度を超した天真爛漫な行動を思い返し、
「ひょっとすると、そいうこともあるかもしれない」などと思い違いをしかねない人でもあった。
そういえば、祖母が生きている間は、父の仕事関係の人や近所の人、古いおつき合いの人などが
「ちょっと寄らせてもらいました」と、三々五々出入りする賑やかな家であったことは確かである。
夜中、家族が寝静まると、なぜか目が冴えるらしく、お決まりの「夜遊び」が始まるのである。
テレビ番組がすべて終了すると、こおり砂糖をなめながらスタンドの灯りでひとり花札遊びをし、
飽きたところで腰湯を楽しんだ。
私が試験勉強でたまに遅くまで勉強をしていて、
寝る前に歯を磨こうと洗面所へ行くと、浴槽に何やら人の気配がするのだ。
そっとドアを開けてみると、真っ暗闇のお風呂で、腰湯をしている祖母と目があった。
「ああ、よっちゃん。気持ちええで」
と、素直に声をかけられたりすると、
返す言葉もなく立ち尽くしてしまうことがたびたびあった。
さらに、その後は夜中のお散歩だ。
ソッと裏玄関から出て、家の近所をひと回りといった感じである。
それだけなら問題もないのだが、時間も考えず誰それと話したいのが祖母の性分。
わが家は小さな駅前の商店街にあって、派出所やタクシー会社が近くにあった。
人好きの祖母は、灯りさえついていれば派出所のお巡りさんであれ、
深夜営業のタクシー運転手さんであれ、声をかけて回ったようだ。
翌日、その話を祖母から聞かされる家族は、
心のなかで「ご迷惑をおかけします」と頭を下げるしかなかった。
午後の日課もしかり。
昼食を終え、テレビの歌舞伎中継を観て、三波春夫のレコードを小さなプレーヤーで聴きあきると、
父が営む建具店の店先にマイ椅子を持ち出して座り込み、
暇つぶしに行き交う人を観察するのが常だった。
すぐそばにあるスーパーからの買い物帰りの人を見つけては、
「スーパーは、よう混んどりましたか」と話しかけ、
見ず知らずの人に「すいません、お兄さん。今、何時ですか」と聞いた。
また、お隣のご主人が暑さしのぎに店の前の道路にホースで水まきを始めると、
「ついでに、うちの前もお願いします」とくったくなく頼む人だった。
さらには、暇を持て余し、自然に始まるうたた寝。
冬はお天道さまに当たらねばと、わが家側の日が陰ると、向かいの化粧品屋さんの店先に移って、
まるでスポットライトを浴びるように、ひなたぼっこを楽しみ、うたた寝を繰り返した。
そんな祖母に「迷惑がかかるから」とひと言でもお説教をしようものなら、
どんな仕打ちが返ってくるか分からないことを知っていた母は、
「いつもすみません」「いつもありがとうございます」を、
ご近所へのあいさつ代わりとしていたようだ。
ある日、占いのおばあさんがわが家を訪れ、この祖母が「この家に『福』をもたらす人だ」と言われたことがあった。
その時は、家族のだれもがすぐには納得できなかったのだが、
それまでの度を超した天真爛漫な行動を思い返し、
「ひょっとすると、そいうこともあるかもしれない」などと思い違いをしかねない人でもあった。
そういえば、祖母が生きている間は、父の仕事関係の人や近所の人、古いおつき合いの人などが
「ちょっと寄らせてもらいました」と、三々五々出入りする賑やかな家であったことは確かである。