暮らしていく上で「安心」という言葉の意味は大きい。
家族内での小さなもめ事や、仕事での人が気づかないような失敗でも、
自分の心に「不安」が存在すると、何の理由がなくてもなぜかふつふつと増殖していく。
思わずため息をついてしまう。
そうなると大好きなビールを飲んでも美味しくないし、
朝まで熟睡するタイプの私も、夜中に何度も目を覚ましてトイレに行く。
認知症の人も、
症状が出始めの頃は自分自身の変化に不安でいっぱいになられるという。
なぜか日にちが分からなくなる。
約束を忘れてしまう。
さっきカギをしたはずなのに、もう1回見に行ってしまう。
いつも歩き慣れた道なのに、家はどっちだったかなと考えてしまう。
こういう時に、
「何してんの!」
「違うやろ!」
「何回言うたら分かるの?」
ではなく、
「何か心配事があるの?」
「できないことがあったら、代わりにするから大丈夫やで」
などと近しい人に言ってもらうと、不安は「安心」に変わるそうだ。
認知症になって、自分の日々の変化を認識するのは7割ぐらいの人らしいが、
安心できると、認知症の進行もかなり遅らすことができると専門医から聞いた。
安心とは、生活していく上でとても大切な心の安定へとつながっていく。
不思議なことに自然と笑顔が生まれてくる。
それなのに、
国のリーダーに
「安心・安全なオリンピックを」
「安心・安全な暮らしのために」
「安心・安全な社会を目指して」
と、精気のない声で、しかも棒読みで、何百回も繰り返されると、
安心・安全にモヤどころか、濃霧がかかってしまって、
かえって不安にさせられる。
なぜ安心・安全にできるのか。
どうすれば安心・安全になるのか。
どうなることが安心・安全なのか。
具体例を挙げてしっかり説明してもらえたら、
私たちも頑張らなければ、もっと応援しようという気持ちになれるのに……。