師走に入ると、なぜかふっと巡ってくるのが、
北海道新聞で2年ほど連載したエッセイ「大阪おばちゃんが行く」だ。
延べ100パターンほどの大阪のおばちゃんの暮らしを描いたもので、ちょうど10年前の年末に終了した。
よく言われる、ど厚かましくて強烈な大阪のおばちゃんではなく、
親しみやすくて人情に厚く、おしゃべりな上に世話好きで、愛想よしの反骨精神旺盛なおばちゃんたちを登場させた。
私が初めて「おばちゃん」と呼ばれたのは、姪っ子(8歳上の姉の長女)が生まれて、しゃべり出した時。
まだ短大生だというのに「よしこおばちゃん」なんて呼ばれたときには、
「な・あ・に?」と愛らしく笑顔で応えていたものの、そりゃあ複雑な気持ちだった。
その次が、結婚して長女が生まれ、お友だちと遊び始めた時期である。
近所のよちよち歩きの子どもたちから、いきなり笑顔で「○○ちゃんのおばちゃん」と呼ばれるようになった。
25歳だった。
「あ~、娘のお友だちなら、なんとでも呼んでくれ~! もう、おばちゃんなんや」と観念した時である。
以来、次女も生まれ、私の中に「○○ちゃんのおばちゃん」は、あまりに自然に定着していった。
しかし、当時、自分にかけられる「おばちゃん」と、「大阪のおばちゃん」は、決してイコールではないと信じていた。
たとえ同じ大阪に暮らしていようとも、「大阪のおばちゃん」とは、すでに固定観念化された一つのブランドだった。
「まけてーな」が口癖で、駅の対面のホームからでも大声で会話ができて、「タダ」のモノに目がなく、
ヒョウ柄好みの派手好きで、電車では10センチの隙間があれば割り込み座りができて……と。
ところが、長女が成人して、結婚し、孫まで誕生した年齢になってくると、
若かったおばちゃんも、徐々に大阪のおばちゃんと化していく。
長い人生で酸いも辛いも経験し、転んだり、ぶつかったり、噛み付いたりしていると、
少々のことには動じず、めげず、へこたれず。
何があっても笑い飛ばして暮らしたほうが勝ちという、大阪のおおらかな渦のようなもの巻かれていった。
人間本来の優しさに巻かれることの心地よさを体感して、「まあ、ええやん」「しゃあないやん」
「かまへん、かまへん」と大阪のおばちゃんに自然になってしまっていった。
「大阪のおばちゃんも、なかなかええもんちゃう?」となってしまったのである。
この人こそ真の大阪のおばちゃんと感じたのは、以前取材させてもらった田辺聖子さんだ。
80歳を目前にした田辺さんは、「とてもいい人生を味わわせてもらっていて、
人生の美味しいとこだけを人差し指でぐ〜んとすくった感じ」と、絶妙の表現をされた。
「かつて大阪人といえば、お金もうけばっかり考えてる大阪商人の話が主流やったけど、
普通の大阪人って、そんなんやない。お金よりも、笑うて面白おかしく暮らそうやないかという人ばかりでしょ」と。
そして、「人生たくさん笑ったほうが勝ち」としめくくられた。
かわいく上品な声の優しい大阪弁で。
それ以来、ますます大阪のおばちゃんでまったく問題なしと思うようになった。
なんと自己肯定感の強いことか。
少々の悩みごとも「人生、笑うたもん勝ち!」と、おまじないをかけるように笑顔で前に進むことにしている。