1 予感
町はどことなくざわめいていた。
普段ならいそがしく小走りな奥さん連中も、今日に限っては軒下で顔をつきあわせ、真剣な面持ちで話しに熱中していた。
年に数えるほどしかやってこない吟遊詩人が去って行ったあとは、いつも町のあちらこちらでこんな光景が見られた。首都から遠く離れ、周囲も山々で囲まれているちっぽけな町では、各地を旅して歩く吟遊詩人のみやげ話が、それこそ最新の情報源だった。
おとといまで、時季はずれに訪れていた詩人の話は、町の住人に不安の種を撒くようなものだった。祭りや、新年のはじまりなど、人々が心から祝い、楽しむ限られた日時にしかやってこない彼らが、余り歓待されないのを承知でこの町にやって来たのには、理由があった。
彼らの見せ物は、屋外で行われる小さな演劇と、昔語りだった。それはごく普通の、みんながおとぎ話として見知っているものがすべてだった。たいして目新しくもない芸は、しかし不気味な影を模した登場人物を、新たに加えていた。
物語に登場する妖精や魔女、そして魔術を持った人間までもが、黒い影に次々と消されていった。黒い影は、物語の中で最強なはずのドラゴンまでをも、目の前に十字架を突きつけるだけで打ち倒してしまった。勇敢な戦士が見得を切って終わるはずが、不敵な笑いを発するその影の呪いの言葉で、幕になってしまった。
英雄的な物語に大喜びしたのは、年端も行かない子供ばかりだった。人々は表情を硬くし、感情的な物言いをするようになった。すべては、詩人達の芸が原因だった。
「町長さん。あんた、あの吟遊詩人の話をどう思うね」
「審問官の連中がこの町にやって来たら、この前のように多くの命が失われるかもしれんな――」
グリフォン亭という名の宿屋の前でも、男達が町長を前に集まっていた。
「ただのうわさ話に決まってるさ。あんな詩人の話なんて、あてになるもんかよ」ちぇっ――。
と、面白くなさそうに舌打ちする若者を制して、町長が言った。
「いや、どうも本当のことらしいんだ。うちの宿に泊まっているあいだ、よく話を聞いてみたんだが、大司教の命を受けた審問官が直々に各地を周り、異端者を裁判にかけているそうだ」
「で、もし噂が本当だとして、わしらはどうすればいいんじゃ」と、フランクじいさんが顔を紅潮させながら言った。
「相手が審問官では、こちらから出て行け、ということはできない。何事もないよう、今から町の住人に注意を呼びかけるのが精一杯だろう――」
「貴様、それでも町長か!」
うなだれている男達を押しのけて、フランクじいさんが杖を手に町長へ詰め寄った。
とっさに何人かが止めに入ったが、フランクじいさんは激しく杖で打ちかかり、羽交い締めにされてもなを、さらに一撃を加えようと男達を手間取らせた。
町はどことなくざわめいていた。
普段ならいそがしく小走りな奥さん連中も、今日に限っては軒下で顔をつきあわせ、真剣な面持ちで話しに熱中していた。
年に数えるほどしかやってこない吟遊詩人が去って行ったあとは、いつも町のあちらこちらでこんな光景が見られた。首都から遠く離れ、周囲も山々で囲まれているちっぽけな町では、各地を旅して歩く吟遊詩人のみやげ話が、それこそ最新の情報源だった。
おとといまで、時季はずれに訪れていた詩人の話は、町の住人に不安の種を撒くようなものだった。祭りや、新年のはじまりなど、人々が心から祝い、楽しむ限られた日時にしかやってこない彼らが、余り歓待されないのを承知でこの町にやって来たのには、理由があった。
彼らの見せ物は、屋外で行われる小さな演劇と、昔語りだった。それはごく普通の、みんながおとぎ話として見知っているものがすべてだった。たいして目新しくもない芸は、しかし不気味な影を模した登場人物を、新たに加えていた。
物語に登場する妖精や魔女、そして魔術を持った人間までもが、黒い影に次々と消されていった。黒い影は、物語の中で最強なはずのドラゴンまでをも、目の前に十字架を突きつけるだけで打ち倒してしまった。勇敢な戦士が見得を切って終わるはずが、不敵な笑いを発するその影の呪いの言葉で、幕になってしまった。
英雄的な物語に大喜びしたのは、年端も行かない子供ばかりだった。人々は表情を硬くし、感情的な物言いをするようになった。すべては、詩人達の芸が原因だった。
「町長さん。あんた、あの吟遊詩人の話をどう思うね」
「審問官の連中がこの町にやって来たら、この前のように多くの命が失われるかもしれんな――」
グリフォン亭という名の宿屋の前でも、男達が町長を前に集まっていた。
「ただのうわさ話に決まってるさ。あんな詩人の話なんて、あてになるもんかよ」ちぇっ――。
と、面白くなさそうに舌打ちする若者を制して、町長が言った。
「いや、どうも本当のことらしいんだ。うちの宿に泊まっているあいだ、よく話を聞いてみたんだが、大司教の命を受けた審問官が直々に各地を周り、異端者を裁判にかけているそうだ」
「で、もし噂が本当だとして、わしらはどうすればいいんじゃ」と、フランクじいさんが顔を紅潮させながら言った。
「相手が審問官では、こちらから出て行け、ということはできない。何事もないよう、今から町の住人に注意を呼びかけるのが精一杯だろう――」
「貴様、それでも町長か!」
うなだれている男達を押しのけて、フランクじいさんが杖を手に町長へ詰め寄った。
とっさに何人かが止めに入ったが、フランクじいさんは激しく杖で打ちかかり、羽交い締めにされてもなを、さらに一撃を加えようと男達を手間取らせた。