毛利元就は安芸の国の領主から、中国地方を治める戦国大名へと駆け上がったて行った。
その本拠地としていたとされる「郡山城」の跡を見て回った。
前夜に宿泊した「神楽門前湯治村」からタクシーで、郡山の登山道入口まで走ってもらう。
市街から見る「郡山」。
あの山のてっぺん(標高390m)に郡山城の本丸があった。
車が入れるのはここまでという所でタクシーを降りて、緩やかな登りを200mほど進む。
そこに、毛利元就および毛利一族の墓所がある。
一段上がったところに元就の墓がある。
墓と向かい合わせに「百万一心」と彫られた石が建てられている。
郡山城の改修のとき、元就が人柱の代わりに「百万一心」と彫った石を埋めさせると、工事が成功したとの伝説がある。
郡山城のパンフレットでも、この石にまつわる説明がそのようにされている。
墓所の脇に郡山城跡への登山道がある。
登山道を落ち葉を踏みながら登っていくが、平日のせいか人に合うことはなかった。
この登山は「山城」としては、楽に歩ける部類に入ろう。
安芸高田の市街を垣間見ることができる。
30~40分かかったであろうか、いよいよ本丸近くまで登った。
「御蔵屋敷跡」には、江戸幕府に命じられ壊されたと言われる石垣の跡がみられる。
二の丸跡
二の丸に接する「本丸」に到着。
本丸は二段の構造になっている。
上の段の最高地点(山頂)は櫓台の跡だそうだが、今はただ「御本丸跡」の石碑が立っている。
「山の天気」である。
陽が射したかとおもうと、急に雲が拡がり寒くなる。
さらに、濡れる程ではないが、パラパラと雨が落ちてきたりする。
下山途中では、林の中から鹿が現れた。
人の姿を見馴れているのか、逃げようともせずこちらを見ていた。
山麓まで下りくると、「安芸高田市歴史民俗博物館」がすぐそこにある。
毛利一族、郡山城を目玉に、安芸高田の歴史・文化の発信基地である。
多くの展示や解説から、毛利一族と、いま登ってきた「郡山城跡」に関する歴史をおさらいした。
博物館で、元就自筆の手紙がたくさん収録されている本「元就の手紙」が目についたので買ってきた。
その中の一つ、「三人心持の事・・・」とある「三子教訓状」といわれる長い手紙は、有名な「三本の矢」の伝説のもとになっているとされる。
「三本の矢」の伝説といい、「百万一心」の伝説といい、元就の思想に通ずるものであろう。
今回の旅から帰って、筆文字の原文、現代の活字に直されたもの、さらにその解説を読み比べながら、少しずつ読むのを楽しみにしている。