幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城を巡る旅・毛利氏の本拠「郡山城」

2024-12-02 | 歴史

毛利元就は安芸の国の領主から、中国地方を治める戦国大名へと駆け上がったて行った。

その本拠地としていたとされる「郡山城」の跡を見て回った。

 

前夜に宿泊した「神楽門前湯治村」からタクシーで、郡山の登山道入口まで走ってもらう。

市街から見る「郡山」。

あの山のてっぺん(標高390m)に郡山城の本丸があった。

 

車が入れるのはここまでという所でタクシーを降りて、緩やかな登りを200mほど進む。

そこに、毛利元就および毛利一族の墓所がある。

一段上がったところに元就の墓がある。

墓と向かい合わせに「百万一心」と彫られた石が建てられている。

郡山城の改修のとき、元就が人柱の代わりに「百万一心」と彫った石を埋めさせると、工事が成功したとの伝説がある。

郡山城のパンフレットでも、この石にまつわる説明がそのようにされている。

 

墓所の脇に郡山城跡への登山道がある。

登山道を落ち葉を踏みながら登っていくが、平日のせいか人に合うことはなかった。

この登山は「山城」としては、楽に歩ける部類に入ろう。

安芸高田の市街を垣間見ることができる。

 

30~40分かかったであろうか、いよいよ本丸近くまで登った。

「御蔵屋敷跡」には、江戸幕府に命じられ壊されたと言われる石垣の跡がみられる。

二の丸跡

二の丸に接する「本丸」に到着。

本丸は二段の構造になっている。

上の段の最高地点(山頂)は櫓台の跡だそうだが、今はただ「御本丸跡」の石碑が立っている。

 

「山の天気」である。

陽が射したかとおもうと、急に雲が拡がり寒くなる。

さらに、濡れる程ではないが、パラパラと雨が落ちてきたりする。

 

下山途中では、林の中から鹿が現れた。

人の姿を見馴れているのか、逃げようともせずこちらを見ていた。

 

山麓まで下りくると、「安芸高田市歴史民俗博物館」がすぐそこにある。

毛利一族、郡山城を目玉に、安芸高田の歴史・文化の発信基地である。

多くの展示や解説から、毛利一族と、いま登ってきた「郡山城跡」に関する歴史をおさらいした。

 

博物館で、元就自筆の手紙がたくさん収録されている本「元就の手紙」が目についたので買ってきた。

その中の一つ、「三人心持の事・・・」とある「三子教訓状」といわれる長い手紙は、有名な「三本の矢」の伝説のもとになっているとされる。

「三本の矢」の伝説といい、「百万一心」の伝説といい、元就の思想に通ずるものであろう。

今回の旅から帰って、筆文字の原文、現代の活字に直されたもの、さらにその解説を読み比べながら、少しずつ読むのを楽しみにしている。