中国人の心は徐々にですが確実に党(ドン)の支配を脱却して来ており、もう鎖国していた毛沢東時代とは訳が違います。
人民はいつか必ずマオとドンの「罪」を全て知る事になり、それを知る為には「許し」というカギで鉄のカーテン(情報統制)を開く必要があります。
その「許し」のカギを握るのは、大躍進政策で餓死した数千万の農民の子孫たち、先祖の遺産を破壊され踏みにじられた名家の子孫たち、そして祖国を奪われたチベットの子孫たちかなと思います。
マオが作ったドンはその「罪」を認めておらず、また同じ「罪」をウイグルで行っている観もあります。
ウイグルはチベットと違って旅行の自由までは制限されておりませんが、そこら中に警察と監視の目(カメラ)があり毛沢東時代の雰囲気を味わえます。
しかしそんな中でもウイグル人は心に平和を保とうと努力しており、イスラムの伝統を守って旅行者を歓待してくれました。(18年前から3度、延べ2月程旅しました)
もちろん中には日本に亡命したいと言う人や、中国の「罪」を世界に伝えてくれと言う人もいましたが、そうした英語の喋れるウイグル人は労働改造所に入れられてしまったかと思われます。
こうした状況に抗議して、来年の冬のオリンピックをボイコットしようと言う声が広まっています。
ウイグルと人種的に近いトルコや中央アジアの国々が既にボイコットを表明しておりますが、サウジアラビア、シリアなどの独裁国家は中国と仲が良く、UAEやレバノンのように経済を宗教よりも重視する国もウイグル人弾圧を黙認する姿勢みたいです。
因みに中国で弾圧されているのはイスラム教だけでなく、キリスト教の教会も沢山破壊されてます。
経済を宗教よりも優先するのは日本もそうで、それは悪い事だとは思いません。 しかし宗教を全く無くすのは問題に思え、バランスと中庸が大切と考えます。
このバランスは自然に取れる様で、お金ばかりを追い求めて来た中国人も、そろそろ行き詰まって他に道を求める様になって来ました。
それを共産主義という非常にラディカル(極端)な宗教に再び導こうとするのがドンの方針みたいですが、過去の失敗を総括できないドンの指導性には人民からも疑問が持たれています。
中庸を宗旨とする仏教は、中国でも伝統文化を復興させようとする動きと合わさり弾圧を免れております。
しかしそれはドンの指導性に依る仏教で、ドンは革命的唯物論を宗旨としているので形だけで心の無いお寺しか作れていない観は免れません。
こうした指導性の問題で一番大きいのは子供の教育で、愛国教育と阻害教育については既に述べて来たのでここでは一口にまとめますと、「他者を阻害する者は必ず他者からも阻害され、そうした国に真の愛国心は生まれない」と考えます。
最後に、なぜイスラム教と共産主義がこんなに反目し合うのかを考察してみます。(ソ連でもそうでした)
それは、イスラム教が神の元での平等を説くのに対して、共産主義はドンの元での平等を押し付けるからで、神とドンは平等観を共有する事がどうしても出来ませんでした。
反目し合うのはどちらの平等観にも偏りがあるからに思え、経済と信仰のバランスを取る中庸の指導性が求められます。