Out of ~ と言うのはかなり強い表現で、「おっぽり出す」とか「全て投げ捨てる」と言ったニュアンスがあり、「うっちゃる」と言うのがピッタリかと思います。
私は学生時代かなり Out of school したもので、中学校をうっちゃってよく富士山なんか登りに行ってました。
高専もしばしばサボって筑波学園都市などの科学シンポジウムに出かけ、大学でも授業には殆ど出ないで図書館の映画ライブラリー(東洋大が一番充実してた)に入り浸ってました。
Out of work してた時期もかなり長く、20代は半分程も海外に行ってて一切仕事はしませんでした。
それでよく Out of money (オケラ)にならないモノだと周りの友達から感心されましたが、それだけ貧乏旅行の極意を体得できました。
これは若さ故に可能だった旅ではありますが、お陰でだいぶお金の呪縛を振り払う自信が持て、たとえ Out of money でも一向に構わないという価値観を育てられました。
さて Out of head に話を移すのですが、「頭をうっちゃる」事はなかなか困難で学校をサボるように気軽にはできません。
酒をガンガン飲みまくれば頭をうっちゃれると思われるかも知れませんが、そんな意識不明になるまで飲んだら体にも財布にも酷で、そもそも酒は煩悩を煽るのでかえって頭に支配されてしまいます。
ではどうすれば「頭をうっちゃって」「心に還る」ことが出来るのでしょうか?
ここではその方法の1つとして、リクパ(心の本質)を目覚めさせるマントラ(真言)をフィーチャー(特に紹介)します。
これは前回にもブッタ(個人)の予言として紹介しましたが、彼はこのマントラは過去の全てのブッダ(複数形)も唱えていたと述べており、時空を超えたユニバーサルな真言といったニュアンスを持たせております。
この「オムマニペメフム=南無妙法蓮華経」を交互に、太鼓のリズムに合わせて切れ目なく唱え続けている洞窟のシーンに、突然ですが戻らせて貰います。(「太鼓のリズムと歌の祈り」から続きます)
この連続唱題は7日間休まず、断食断水で行われます。
私はここまでの苦行はまだして無く、断食断水は3日おきで中日の4日には飲食(おんじき)しました。
この中日を入れずにぶっ続けで唱題三昧するには、そうとうな覚悟と悟りが必要であり、それを成し遂げた高僧から話を聞きましたが脱水症状で立てなくなったそうです。
それだけ身体を犠牲にして真言を唱え続けて一体なにが得られたのか、その高僧(カルカッタ道場首座 故人)曰わくそれは「心の平和」で、その平和を他者に分け与える法力が彼には備わっていたと思い出されます。
最後に話を「頭をうっちゃる」に戻して、バルドゥ祭での死者の祭られ方に言及します。
希聖(シーシェン)は坐禅しながら自決(耳から耳へ針金を通す)したので、その姿勢のまま曼荼羅の中央に坐しますが、針金は目障りなので引き抜かれます。
それで完全にシーシェンの脳は破壊され、それは溶けて耳の穴から流れ出します。
これはバルドゥ祭では吉祥(タシ)とされ、本尊が耳から涙を流す姿は唱題者達を励まします。
そうして最期にはシーシェンの頭はスッカリ空になり、死者を「Out of head」してやれたと送り人たちは満足感を得ます。