学生のころ
病気の末期などで
死を告げられた人は
否定したり怒ったり落ち込んだりと
5つのステップを踏んで
最後に受容すると学んだ
でも
実際そういう状態の方々にあってみると
ほんとにそうなのかな
と思う
いろんな段階は確かにあるけど
受容されたと思った少し後に
また落ち込んだり怒った様子も見られ
きちんとステップを踏んで
受け入れて亡くなっていく方は
私の少ない経験の中では
ほとんどなかったように思う
考えてみれば
人は最後まで人であって
神様じゃない
”死”は
全く希望のないもので
それを受け入れるという時点で
すでに人ではないような気がする
やっぱり人は
煩悩が必要で
希望があるから前に進めるのだと思う
だから私は
命の最後までじたばたすることも
人らしくていいと思う
最後まで生きたいと思い
たくさん失敗しても
希望のある限り立ち上がって進む
カッコ悪いかもしれないけど
そういうのが
生きるってことじゃないかな
カッコ悪く生きてきたおばさんが
秋の午後に
ふと考えたこと
病気の末期などで
死を告げられた人は
否定したり怒ったり落ち込んだりと
5つのステップを踏んで
最後に受容すると学んだ
でも
実際そういう状態の方々にあってみると
ほんとにそうなのかな
と思う
いろんな段階は確かにあるけど
受容されたと思った少し後に
また落ち込んだり怒った様子も見られ
きちんとステップを踏んで
受け入れて亡くなっていく方は
私の少ない経験の中では
ほとんどなかったように思う
考えてみれば
人は最後まで人であって
神様じゃない
”死”は
全く希望のないもので
それを受け入れるという時点で
すでに人ではないような気がする
やっぱり人は
煩悩が必要で
希望があるから前に進めるのだと思う
だから私は
命の最後までじたばたすることも
人らしくていいと思う
最後まで生きたいと思い
たくさん失敗しても
希望のある限り立ち上がって進む
カッコ悪いかもしれないけど
そういうのが
生きるってことじゃないかな
カッコ悪く生きてきたおばさんが
秋の午後に
ふと考えたこと