暁に咲く幻の花

花が咲くように生きていきたいな。日々のあれこれ、嬉しいこと楽しいこと好きな人のことを、花や自然にことよせて綴ります。

愛読書を一冊ご紹介します

2015-07-10 01:24:13 | シンガーソングライター

こんにちは。
 私は、暇さえ有れば本を読みたいタイプで、ジャンルを問わない事も前述した通りですが、こう毎日雨模様に湿気と不快指数の高さの中では、中々集中して読めません。
ですが、そんな不快感を吹き飛ばしてくれるような本があります。

 『小石川の家』
作者は、青木(幸田) 玉さん。 文豪幸田露伴の孫娘さんで、女流作家幸田文さんの一人娘さんです。今は教養豊かなおばあさまになってから待ち望まれた一冊として発行されました。

玉さんが書かれたのはご自身がまだ小学生から大学生の頃までの、家族の肖像です。
露伴の明治の気骨を持った一筋縄ではいかないおじい様ぶり、まだ作家になる前の文さんの、お母様ぶりは厳しいなあと思う時もあり、戦争中の描写もありますが、読後感の爽やかさは何と表現したらよいでしょう。
少し、私の好きな場面を抜粋してみましょう。

小学生の玉さんは、二階で病臥している露伴翁に母から薬を渡され、階段を上がりドキドキしながら声をかけます。

 お盆に乗せた薬の小さいガラスの盃を見て、
「おや、又何か出てきたのか、それは何だね」
「食間のお薬です」
「お隣の先生がよこした薬かい」
「はい」
「何のためのものか、おっ母さんは言っていたか」
「いえ、御上げしてくるようにって」
「うむ、それでお前は何も聞かずに持ってきたのか」
 はい、と言っても、いいえと言っても返事にならない。
 こういう状態を母と私は三又といった。はいも駄目、いいえはなお、三つ目の、聞いて来ますの一時逃れも利かない。どの道叱られる他はない、黙って畳のへりでもぼんやり見ていれば、そこに返事が書いてあるのか、と突込まれ、口を利かずに腰を浮かせれば、返事もしないで座を立つことが出来るのか、ならば立ってみろ、と足払いがかかる。
 何しろ逃げ出したい、先ずは謝って逃げようと、
「申し訳ありません、聞いて来ます」
「何を申し訳ないと思っているんだ、お前は何も考えないで、ただふわふわしている。申し訳などどこにもありはしない。薬というものは恐ろしいものだ、正しく使われば命を救うが量をあやまてば苦しみを人に与える。何の考えもな無しに薬を良いものとだけ信じて人にすすめるとはどういうことだ。昔、耆婆(ギバ)は釈迦の命が危なかった時に秘薬を鼠に投げて釈迦の元へ走らせた、なのにバカな猫がその鼠を食ってしまったから間に合わず釈迦は亡くなったというが、しかし薬は劇薬でそれを飲んだために命を縮めたという説もある。そもそも釈迦が死ぬような目に逢ったのは、信心深い婆さんが託鉢のなかへ献じた食物の中に毒きのこが入っていて、釈迦はそれを知っていながら承知で食べて、苦しみ死をしたとも言われている。愚かな者は、自分が良いことをしたつもりで恐ろしいことを平気でやってのける。お前は自分のしていることを、どう考えているのだ」
 ただ、お盆を渡されて、
「持ってって」
といわれて持って来て、何を叱られているのか解らないうちに、
自分は愚かなために祖父を苦しみ死させようとしている悪者になり、謝ろうにも、何を謝っていいのかわからず悲しくなってぽとぽと涙がこぼれる。
 何でも、はい、はいと言われるままに動けずにいると、母が入って来て「行きなさい」と一喝されペコッとお辞儀をして出ていく。

 
話はまだまだ続き、今度は母から玉さんは叱られてしまいます。
玉さんは、今考えるとバカバカしいと書いていらっしゃいますが、
父を亡くした玉さんには厳しい祖父、文壇の重鎮で国から勲章までいただいた偉大な祖父を尊敬と少し悲しみも含めながら愛情深く描いています。
 私は薬を持って行っただけで、「昔、釈迦は」などを露伴先生から直に聞けた玉さんを羨ましく思い、幸田露伴の剛健な精神が家のすみずみまで行き渡った家を想像して厳しい家だったろうなと肩をすくめたりもします。
 文章は流石に露伴の孫、文の娘。確かな美しい日本語は背すじがピンとなります。
お使いの仕方など、平成の世の子育てとはまるで違う厳しさも日本女性がいかに美しい所作を仕込まれたかわかる素晴らしい一冊です。文庫なので一気に読めますよ😊

 出典 講談社文庫 青木玉 『小石川の家』

読んでいただき、ありがとうございます。