本が届いた。アマゾンで注文した古本がやっと届いた。井上洋治著『人はな
ぜ生きるか』(1985年、講談社)である。本体価格が123円の代物だった
が、状態はすこぶる良好で、書き込みなどはまったくない。寄贈本だったら
しく、「佐藤**様/佐藤**様/恵存/井上洋治」と署名があり、押印も
ある。井上神父ファンにとっては垂涎の品だろう。ラッキーこの上ない。
さっそくページを繰って読み始めた。案の定、並みの人生論などとは違って、
内容的にも申し分ない。私は記憶に留めるため、重要と思う箇所に鉛筆で傍
線を引きながら読み進める習慣があるのだが、傍線を引いた箇所が思いのほ
か多くなり、傍線を引く意味が無くなるほどだった。
これから本ブログでは、井上氏の思想に関して、私が「いいね!」と思った
文章を、折にふれて紹介していこうと思う。その場合、問題になるのは、文
字データの入力をどうするかである。キーボードで入力するのでは、あまり
にも時間がかかりすぎ、これだけで精力が削がれてしまう。
ならば音声入力はどうだろう、と考え、いくつかのアプリで試してみた。今
回は慣れない作業で試行錯誤の連続となったが、それでもキーボードで入力
するよりは、はるかに楽ちんである。きょう音声入力した文章を、以下に紹
介することにしよう。
「私たちは健康にしろ、財産にしろ、友情にしろ、家庭にしろ、たくさんそ
ういう大切なものを持って、またそういった大切なものに支えられて、生き
ているわけですけれども、いざそういうものを失ってしまったときに、価値
のある大切なものを失って色あせてしまったときに、その色あせ挫折してし
まった自分を受け入れることができる心というもの、それが考えてみれば人
生で一番大切なことではないかと思ったのです。もちろん健康はじめ、大切
なものはたくさんありますが、そういうものの奥に、そういう大切なものを
失ったときの自分ですね、その自分を受け入れることができるということ、
これがもっとも大切なことであり、人生の幸せということと一番深いところ
でつながっているのではないか、そう思ったのです。」(9−10頁)
井上氏の本をある程度読みすすめ、その言葉の重さに息苦しくなって、テレ
ビのスイッチを入れてみた。近畿財務局の職員が死亡した、自殺らしい、と
の報道。こちらも気が重くなるような話だ。おそらくこの職員は、森友文書
の改ざんに関わっていたのだろう。公文書の改ざんは上司から命じられたこ
とだろうが、これは明らかな犯罪である。事が明るみに出れば、自分は地位
も名誉も、大切なものをすべて失ってしまうと考え、すべてを失った自分の、
その絶望を背負いきれずに、彼は自ら命を絶ったのだろう。大切なものを失っ
たときの自分を、彼は受け入れることができなかったのだ。
では、人はどうすれば、大切なものを失ったときの自分を、受け入れること
ができるようになるのか。「視点のコペルニクス的転換によって」と井上氏
は答えている。その部分の音声入力は、まだ行っていない。できれば、次回
にはその箇所を紹介したいと思う。その箇所にはおそらく、井上氏の思想の
根本と核心が現れているはずだ。乞うご期待。
ぜ生きるか』(1985年、講談社)である。本体価格が123円の代物だった
が、状態はすこぶる良好で、書き込みなどはまったくない。寄贈本だったら
しく、「佐藤**様/佐藤**様/恵存/井上洋治」と署名があり、押印も
ある。井上神父ファンにとっては垂涎の品だろう。ラッキーこの上ない。
さっそくページを繰って読み始めた。案の定、並みの人生論などとは違って、
内容的にも申し分ない。私は記憶に留めるため、重要と思う箇所に鉛筆で傍
線を引きながら読み進める習慣があるのだが、傍線を引いた箇所が思いのほ
か多くなり、傍線を引く意味が無くなるほどだった。
これから本ブログでは、井上氏の思想に関して、私が「いいね!」と思った
文章を、折にふれて紹介していこうと思う。その場合、問題になるのは、文
字データの入力をどうするかである。キーボードで入力するのでは、あまり
にも時間がかかりすぎ、これだけで精力が削がれてしまう。
ならば音声入力はどうだろう、と考え、いくつかのアプリで試してみた。今
回は慣れない作業で試行錯誤の連続となったが、それでもキーボードで入力
するよりは、はるかに楽ちんである。きょう音声入力した文章を、以下に紹
介することにしよう。
「私たちは健康にしろ、財産にしろ、友情にしろ、家庭にしろ、たくさんそ
ういう大切なものを持って、またそういった大切なものに支えられて、生き
ているわけですけれども、いざそういうものを失ってしまったときに、価値
のある大切なものを失って色あせてしまったときに、その色あせ挫折してし
まった自分を受け入れることができる心というもの、それが考えてみれば人
生で一番大切なことではないかと思ったのです。もちろん健康はじめ、大切
なものはたくさんありますが、そういうものの奥に、そういう大切なものを
失ったときの自分ですね、その自分を受け入れることができるということ、
これがもっとも大切なことであり、人生の幸せということと一番深いところ
でつながっているのではないか、そう思ったのです。」(9−10頁)
井上氏の本をある程度読みすすめ、その言葉の重さに息苦しくなって、テレ
ビのスイッチを入れてみた。近畿財務局の職員が死亡した、自殺らしい、と
の報道。こちらも気が重くなるような話だ。おそらくこの職員は、森友文書
の改ざんに関わっていたのだろう。公文書の改ざんは上司から命じられたこ
とだろうが、これは明らかな犯罪である。事が明るみに出れば、自分は地位
も名誉も、大切なものをすべて失ってしまうと考え、すべてを失った自分の、
その絶望を背負いきれずに、彼は自ら命を絶ったのだろう。大切なものを失っ
たときの自分を、彼は受け入れることができなかったのだ。
では、人はどうすれば、大切なものを失ったときの自分を、受け入れること
ができるようになるのか。「視点のコペルニクス的転換によって」と井上氏
は答えている。その部分の音声入力は、まだ行っていない。できれば、次回
にはその箇所を紹介したいと思う。その箇所にはおそらく、井上氏の思想の
根本と核心が現れているはずだ。乞うご期待。