このところ井上洋治著『人はなぜ生きるか』に嵌(はま)っている。きょうも朝起きてから昼食までの午前中、この本を読んだ。昼食後も、私はたぶんこの本を読み続けるだろう。
世間は森友文書の改ざん問題や、米朝首脳会談の話題で賑々しいが、今の私の心境は、井上陽水の歌曲「傘がない」の心情に限りなく近い。
都会では 自殺する 若者が 増えている
今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた
だけども 問題は 今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
今の私にとって、逢いたいと願う「君」は、井上神父の言説である。これは間違いない。それでは「傘」は何なのだろう。私に無いもの、私に欠けているものは、何なのだろう。それは友人との交流だろうか。
私は雨にめげず、花粉症にも片麻痺にもめげず、なぜ(傘もささずに!)「君」に逢いに行こうとするのだろうか。
楽しいから、には違いないのだが、こんな心気臭い文章を読むことが、なぜこれほど私を惹きつけるのか。
昼食を食べてからも、きっと私はこの本に向かうだろう。
世間は森友文書の改ざん問題や、米朝首脳会談の話題で賑々しいが、今の私の心境は、井上陽水の歌曲「傘がない」の心情に限りなく近い。
都会では 自殺する 若者が 増えている
今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた
だけども 問題は 今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
今の私にとって、逢いたいと願う「君」は、井上神父の言説である。これは間違いない。それでは「傘」は何なのだろう。私に無いもの、私に欠けているものは、何なのだろう。それは友人との交流だろうか。
私は雨にめげず、花粉症にも片麻痺にもめげず、なぜ(傘もささずに!)「君」に逢いに行こうとするのだろうか。
楽しいから、には違いないのだが、こんな心気臭い文章を読むことが、なぜこれほど私を惹きつけるのか。
昼食を食べてからも、きっと私はこの本に向かうだろう。