筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

笹野才蔵2 (笹野才蔵は可児才蔵)

2021-07-02 05:32:53 | 山笠

17番ソラリア山笠の可児才蔵


「関ケ原合戦屏風図」の可児才蔵

『石田軍記』なる書物によれば、可児才蔵は関ヶ原の戦いでは福島正則に従軍し、
合戦で次々と上げた敵の首の鼻の孔、耳の底に笹を押し込んで印とし、
首実験の際に17の首級があったことで徳川家康から称賛され、
家康から「笹才蔵」の名をもらったことが記されています。

可児才蔵は美濃国可児郡 ( 現在の岐阜県御嵩町 ) 出身で、
ここにある願興寺に伝わる『大寺記』によれば、
才蔵の母宗珠尼は越前の朝倉義景の妾で朝倉家滅亡に際して
美濃に逃避し、この地で才蔵(可児太郎)を生んだとされています。
長生して斎藤龍興、明智光秀、前田利家、森長可、福島正則
などの戦国大名に仕えたとされています。

笹野才蔵 1

2021-07-01 20:01:24 | 山笠


  博多では疱瘡(天然痘)という疫病が流行するたびに、
「笹野才蔵」と呼ばれる博多人形やお札が家々で飾られました。
 才蔵は戦国時代の武将「可児才蔵」がモデルとされています。
 壱岐などでは「ささら三八」とも呼ばれていました。
 いずれも戦国時代の猛者で福島正則家臣「可児才蔵」の
武勇にあやかったヒーローとされています。

(写真)博多人形の「笹野才蔵」
左から讃井清兵衛型、藤村菊次郎型、中ノ子吉三郎型
(前2者は明治期~戦前の作、右は昭和40年代頃の中ノ子勝美作)

今日から飾り山が披露

2021-07-01 10:47:31 | 山笠


本日、7月1日から2年ぶりに博多祇園山笠の飾り山が公開されます。
コロナ禍により昨年はご神事以外の町うちの行事は中止となり、
疫病退散の行事である山が動かない異例の事態となりました。
今年も町を疾走するかき山は自粛され、飾り山のみが公開となりました。

令和3年17番ソラリア山笠では

【表】猛将才蔵去退病(もうしょうさいぞうやまいをもしりぞける) 
人形師:置鮎正弘
戦国最強の武将「可児才蔵」が疫病を斬る!


【見送り】 筑紫遷都誉 (つくしせんとのほまれ)
人形師:小嶋慎二
日本の古代国家はアジアの接点「福岡」の地から始まった!

となっています。
表の主人公は「可児才蔵」こと疫病退治の「笹野才蔵」を取り上げています。