光と風に乗って地域産品の創出

NPO法人光と風&地魚料理海辺里

いいおか津波復興まちづくりコンペ

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
      震災後のまちづくりとはー1
 昨年の末、震災後のまちづくりをあれこれ考えているときトヨタ財団の助成申請を促された。
これを作成する中で広くアイデアを募りながら構想を多くのみなさんで練り上げていく方法として「コンペ」を提案した。
 たまたま、3月末になって助成が決まり事務局を立ち上げスケジュールなど準備が遅れて事が進んでいる。先月末に関係する機関等に案内をしている次第である。
 最初の現地案内はこの10日になっている。必要な資料等はHPでダウンロードを願っている。
いいおかつなみ復興プロジェクト、http://www.iioka-mirai.jp


語り継ぐ いいおか津波ー被災者聞き取り調査記録集

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
      記録集発刊の案内について
 3月に発刊の予定であったが編集の遅れもあって5月の11日に発行することになった。当日は聞き取りに協力頂いた被災者の方67名、発行に協力頂いた方など約100名の方に招待の案内を届けた。
 記録集はA5版、250ページ、500部印刷、招待者、協力者、図書館、学校、などへ無料で配付することになった。
 発行に到ったり理由は聞き取りに応じていただいた被災者の方がいたこと、もう一つはこの発行資金が復興どんぶりからの支援金で賄うことが出来たことである。
 従って、関係者には無料で配り後世に伝えていただきたいこと、もう一つは復興どんぶり店で販売し、販売を通じて支援金がもう一度、回る仕組みを考えている。
 効率を優先すれば書店で販売する、こう言ったことは無駄なことに思える。しかし 効率からの疎外で衰退する地域社会の営みとして試みたい。

被災地旭市飯岡で見る金環日食と朝市

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
     旭市観光写真ボランティアの活動
 世紀のイベントなどと叫ばれている金環日食が近づいて来た。光と風キャンペーン実行委員会のメンバーが今年の3月に観光写真ボランティア会を設立した。市のまちづくり事業の認定団体へ申請、旭市の観光にとって市民自らがボランティアとして立ち上がった訳である。
 その第一歩目の活動開始が金環日食となった。5月21日朝5時から刑部岬展望館でイベントを実施する。
 当施設でもこれに呼応してイベントに参加、鑑賞撮影会付きの特別宿泊プランを計画している。日本の朝日・夕陽100選の眺望であるデッキで朝食を食べながらの鑑賞会である。

いいおか津波復興プロジェクト考-1

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
    旧国民宿舎 飯岡荘の行方-1
 平成17年、1市3町が合併するまで「国民宿舎 飯岡壮」海と大地を活かす飯岡町の象徴的存在であった。合併によって飯岡地区の相対的地位が下がり国民宿舎もその在り様が変化してきた。建物や集客体制に3億円もの資金を導入したが改善することが無かった。
 3.11の震災後、時を経ず市当局は再建の断念を表明した。今に思えばいち早く国民宿舎の従業員、或いは担当者が再建の意思を示し復旧への道筋を画いていれば事態は変っていたと思える。
 その後、市当局はその在りかたについては第3者に再建を委ねたり、撤回したり変節を重ねてにきた。復興計画案では<公園>という抽象的に留めているが「いいおか津波の復興」にとってハード・ソフト面で飯岡荘の行方はキーポイントになる。
  

震災後のまちづくりー2

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
      まちづくり固有な課題ー通連洞とは
 屏風ヶ浦の古い地図などを見ると飯岡町と銚子市の境に「通連洞」という名勝が載っている。侵食によって出来た洞を指している。昭和30年代前半、消滅する以前に撮影された貴重な写真である。
 古くから物語を生み出す場所として知られて来た。例えばあの「安部の清明」が登場するなど特異な時空間の場所であった。史実は伏せているが自然が織り成す侵食の営みを背景と化すと思える。
 震災による大きな被害が無かった地区であるが「侵食」をキーワードにするまちづくりにとって想像力を試す場所にしたい。