光と風に乗って地域産品の創出

NPO法人光と風&地魚料理海辺里

被災1周年を迎えるに当たって

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
   ボランティアの皆さん有難うー1
 あの津波から間もなく1周年になる。このところ新聞社やテレビ局から1周年が近くなりどのような活動をしていますか!と取材の問合せが多くなった。
 政府・行政は犠牲者を偲び慰霊祭を予定している。光と風キャンペーン実行委員会は被災者を代表する組織でもなく主として後世に伝える活動を続けてきたといってよい。
 3.11はお世話になったボランティアの皆さんに何かお礼が出来ないか!という考えから集いを計画している。そして、大きな被害を出した5時26分を記録した旧JAの時計塔を何とか保存できないか、皆で考える契機にしたいと思っている。
 この写真は建物を撤去した旧JAの跡地である。当日はこの敷地を借りて集いを計画している。5時26分に向け敷地内にテントを張り①時計塔の設置(動かせないので写真で表示予定)、献花台、希望の鐘、寄せ書き、記帳など ②周囲にはこれまでの活動として「復興かわら版」、「防災教室」の写真、「記録集」の見本など皆さんに見ていただきいものを展示することにしている。
 

3,111周年に向けて

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
   ボランティアの皆さん有難うー1
 被災から間もなく1年目を迎えることになる。光と風キャンペーン実行委員会でも後世に伝えて行く一里塚として集いを計画している。当日は市・県が午後2時半から慰霊祭を実施するので実行委員会では次のことを考えている。
 後世に伝えて行く被災の財産として旧JAの時計塔の保存の訴えとお世話になったボランティアの皆さんにお礼を言いたいという企画である。
 当日は大きな被災を受けた5時26分を中心に旧JAの跡地で実行委員会のメンバーでささやかな営みを催すことになる。
 手弁当で泥水にまみれながら笑顔で過ごしたあの時間、非常な現実に無償行為の清々しさと元気を頂戴した。振り返ってみるとご苦労さんといったままになったいるではないか!

復興あんこ鍋祭り

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
    2月1日から恒例の「あんこう鍋祭り」を開催。
 「あんこう鍋祭り」は毎年、2月1日から3月末まで開催していた。昨年3月11日、突然の大津波は真っ最中の祭りを一瞬にして葬ってししまった。予約を頂いていたお客にお断り、キャンセルの連続、仕入れたアンコウは処分する以外になかった。
 あれから1年、今年は「復興あんこう鍋祭り」と厳しい中で開催をすることになった。
 
 

飯岡刑部岬 心を癒す歌人

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
 今年の3月下旬から刑部岬展望館前で雨天を除き出前のチャリティーコンサートが開けれていた。しかし、9月30日を以ってこのコンサートは幕を閉じることになった。
 旭市では災害支援という共施設の利用が9月いっぱいで終了したためである。この無償行為を続けていたのは作曲家で旭市出身者の三林昇さんと「三林友の会」のメンバーである。
 実のところ、あの暑い夏の最中でも連日、身銭を切り歌を歌い続けていた理由は判らないでいた。これまで体を張って生きてきた人生を聞き納得した。10月に入りリーダーの三林さんと話し合う機会があり、続けて行きたいことを確認した。
 ライトハウスの隣の地主である飯岡タクシーに借用の交渉したところ快諾いただいた。こうした経緯で11月中旬から天候の良い日にはコンサートを開いている。なお、支援金は光と風キャンペーン実行委員会が受け入れ先となった。m
 
  

防災教室と復興観光シンポジウムの開催

2022年08月01日 | 飯岡津波 復興への歩み
 8月に親子防災教室を開催した。その後、震災後の復興を支え地域に人を呼び込む仕組みを考えて来た。
 ひとつは災禍を後世に伝える試みに「語り継ぐ会」の組織化、かわら版発行による継続を始めた。他方は壊滅的な被災を受けた観光産業を再建する方途である。願望だけではなく自分たちに出来る実践的な試みであった。
 11月26日、「いいおか津波 防災教室&震災後の地域観光」をテーマにシンポジウムの開催を企画した。午前中は飯岡地区で防災教室+語り部さんとの交流、午後はJTBの協力で基調講演、香取市、銚子市、旭市から観光の現状と今後について報告、などである。