航空写真で災害対処支援 岩手・宮城内陸地震 需源地周辺を緊急撮影 朝雲新聞(2008年6月26日)抜粋
岩手・宮城内陸地震で災害派遣されている自衛隊は現在、被災住民の給水、給食、入浴支援などで活動しているが、地震発生翌日の6月15日から震源地周辺地域の航空写真を緊急撮影して内閣府の対策本部や国土交通省などへ災害情報を遂次提供、政府の災害対策の裏方として活躍していたのが海自徳島航空基地の202教育飛行隊の運用するUC90多用機「<にかぜ」と空白百里基地の偵察航空隊RF4E偵察機だ。震災初動対処の同部隊の動きを追った。
(海自関係分省略)
空自は百里基地に所在する総隊直轄の偵察航空隊が現地の航空写真を撮影、内閣府に提供するなどの任務に当たった。
6月14日の地震発生後、同隊は直ちにスクランブル発進できる緊急態勢を整えて待機。翌15日午前11時40分、総隊からの災派命令を受けて第501飛行隊(隊長:軍司雅人2佐)のRF4E907号機(機長:平岩努3佐、航法士:田村泰人1尉)が午後1時に離陸、岩手県から宮城県にかけての上空飛行、高度約4500メートルから約1時間かけて被災地の航空写真を撮影した。撮影枚数は約320枚。帰投した同機から下ろされたフィルムは直らに現像、判読され総隊こ電送された。
さらに午後4時には同クルーが901軍機に乗り換えて再び離陸、花山湖北西部、温湯温泉、行者滝、駒の湯、荒抵沢ダムの同辺を上空からピンポイントに最影して約1時間後に帰投、写真は直らに総隊に電送さた。同隊では別に合成して全体を網羅した縦横各1メートルの航空写真を作成、百里基地から車両で総隊に3枚を宙け、うち1枚が内閣府こ提出されたほか、百里救難隊のUH60J救難ヘリで陸自東北総監部に運ばれた。
偵察航空隊では平成16年の中越地震でも被災地の航空写真を内閣府に提供しており、高木雅弘隊司令は「災害時には常に待機につき、国や地方自治体などから要請があれば直ちに災害派遣任務で被災地の航空写真を撮影、提供している。必要な場所に画像をリアリタイムで提供できるのが特徴なので、関係機関にはもっと偵空隊を活用してもらえれば」と話している。
岩手・宮城内陸地震で災害派遣されている自衛隊は現在、被災住民の給水、給食、入浴支援などで活動しているが、地震発生翌日の6月15日から震源地周辺地域の航空写真を緊急撮影して内閣府の対策本部や国土交通省などへ災害情報を遂次提供、政府の災害対策の裏方として活躍していたのが海自徳島航空基地の202教育飛行隊の運用するUC90多用機「<にかぜ」と空白百里基地の偵察航空隊RF4E偵察機だ。震災初動対処の同部隊の動きを追った。
(海自関係分省略)
空自は百里基地に所在する総隊直轄の偵察航空隊が現地の航空写真を撮影、内閣府に提供するなどの任務に当たった。
6月14日の地震発生後、同隊は直ちにスクランブル発進できる緊急態勢を整えて待機。翌15日午前11時40分、総隊からの災派命令を受けて第501飛行隊(隊長:軍司雅人2佐)のRF4E907号機(機長:平岩努3佐、航法士:田村泰人1尉)が午後1時に離陸、岩手県から宮城県にかけての上空飛行、高度約4500メートルから約1時間かけて被災地の航空写真を撮影した。撮影枚数は約320枚。帰投した同機から下ろされたフィルムは直らに現像、判読され総隊こ電送された。
さらに午後4時には同クルーが901軍機に乗り換えて再び離陸、花山湖北西部、温湯温泉、行者滝、駒の湯、荒抵沢ダムの同辺を上空からピンポイントに最影して約1時間後に帰投、写真は直らに総隊に電送さた。同隊では別に合成して全体を網羅した縦横各1メートルの航空写真を作成、百里基地から車両で総隊に3枚を宙け、うち1枚が内閣府こ提出されたほか、百里救難隊のUH60J救難ヘリで陸自東北総監部に運ばれた。
偵察航空隊では平成16年の中越地震でも被災地の航空写真を内閣府に提供しており、高木雅弘隊司令は「災害時には常に待機につき、国や地方自治体などから要請があれば直ちに災害派遣任務で被災地の航空写真を撮影、提供している。必要な場所に画像をリアリタイムで提供できるのが特徴なので、関係機関にはもっと偵空隊を活用してもらえれば」と話している。