護憲的改憲⑤

2006年08月20日 | つぶやく
会員大会の服装についてですが、
県警警備の関係でネームプレート着用を義務つけとなりますので
お忘れなく!


<編集部>
ところで、憲法改定の国民投票法案について、小林さんは積極的につくったらいいという立場ですよね。

<小林>
96条で憲法改正を予定している以上、憲法改正の手続法があって当たり前です。でも、本当は憲法制定時につくるべきだったと思う。なぜかというと、具体的な改憲案が出てきちゃうと、それぞれのひいき筋があって、国会の中で自分たちの案が通りやすいように、お互いに手続法で駆け引きをやってしまうから。

いずれにしてもよき改憲はすべきだと考える僕は、手続法をつくっておくのは賛成です。もちろん、それをつくろうという人たちの「動機」は知っているよ。

でも僕はそれに学者としてかかわることによって、善導しようとしている。最初自民は多数の横暴でつくろうとしていたけど、僕らがいろいろ言うようになったから、結果的にずいぶんいいものになったじゃないですか?

<編集部>
確かに民主党の力や市民の声もあって、内容自体は当初の自民案よりも公正なものに近づきました。

<小林>
一括投票でなく各個別投票になったり、短期間にパッとやってしまうのではなくて何カ月も晒す期間があったり、メディア規制も撤廃の方向になったりした。公正な案ができたんじゃないですか?

つまり、衆参の3分の2以上が必要となれば、自民党や公明党を説得できなくたっていい。民主党さえ説得できれば、3分の2が成り立たないんだ。それには成功したわけです。僕も関わっていって、民主党の教育はできたんだから(笑)。

ただし、憲法改正が嫌な人々が、戦略論として手続法に反対するのもありだと思うよ。戦略的に国民投票法案を潰すことによって改憲を潰そうという人のことを、僕は別に否定はしません。

<編集部>
最後に、小林さんは今の護憲派に言いたいことはありますか?

<小林>
みんなお気楽な顔をして、「私たちはどうやって憲法を活かしていったらいいのか…」とかまだ言っているんですよね。現在の状況に、もっと危機感を持ってください!

でも、作戦は二つあります。まずは次の参議院選挙で、自民党から権力を奪うこと。権力を乱用して憲法を蹂躙してきた人々を、権力の座から離すことなんです。彼らが一番嫌がっているのは、憲法改正ができないことなんかじゃない。

憲法改正ができなくたって、彼らは権力を持っているから、憲法を無視して何でもできる。だから次の参議院選挙で、自民プラス公明を少数派に落とすことです。

そうすると、二院制ですから、衆議院で3分の2の圧倒的多数を持っていても、参議院で全部否決されます。首相指名と予算と条約以外は何も通らなくなるから、もう総選挙に入るしかなくなる。

その総選挙で、民主党にかろうじて過半数をあげればいいんです。民主党が単独で過半数ないし自民・公明のセットで過半数割れを起こさせてあげればいい。とにかくもう我々は自民党の無知と傲慢に怒らなければいけない。


もう一つの方法は、これは私が言うのではなく伊藤真からみんなに言ってほしいのだけど(笑)、国民投票法は国会の多数決でつくられるんですから、四の五の言っても、いずれ10月からの臨時国会でできてしまいます。

そして近い将来、憲法改正の発議があったとき、民主党がしっかりしていれば悪い改憲案は出てこないと思うけど、民主党が狂う場合も考えられます。じゃあ、どうすればいいか。


今9条の会や憲法改悪に反対する市民の会というのが、燎原の火のごとく広がっているじゃないですか。ああいう草の根の人たちが、「憲法とは何か」「立憲主義とは何か」ということをきちんと国民に伝えていく。それが、主権者=国民を忘れるなという憲法の精神を活かすことだと思います。

護憲派・改憲派という枠組みを超えても、憲法の根本思想=立憲主義をきちんと国民に浸透させていくことが、いま一番大事なことかもしれません。
小林さん、どうもありがとうございました!


終了!
次回からは「百里基地」「日米安全保障条約」「憲法九条」をお送りいたします。

護憲的改憲⑤

2006年08月19日 | つぶやく
今週末は、夏のイベントなども多いことかと思いますが
何よりも安全運行を心がけましょう!

では、では、・・・。

<編集部>
国会の終盤で、防衛「庁」を防衛「省」に昇格する法案が提出されましたね。でも根本にある9条との整合性など、憲法の問題をスッと通り抜けられても困ると思うのですが。

<小林>
防衛「省」にするなら、まず憲法を改正してからやれよというのが、一つありますね。 


9条は日本が侵略者だったという反省の上にあるはずですが、同じく侵略者であったドイツは、戦後、軍隊の民主教育ということを徹底してやってきました。しかし、僕には軍隊の民主教育といった話が、今はピンと来ないんですよ。

攻めて来る国を、仮に北朝鮮だとしましょう。北朝鮮は日本の法令なんて無視して攻めて来ますよ。だからそれに対抗する軍隊というのは、指揮官が進めとか撃てとか言ったとき、「私には別の意見がある」なんて言う部下の意見を聞いていてはやってられない。

つまり、軍隊というのは民主国家を守る軍隊であっても、軍隊である以上、きわめて非民主的な組織であって、非民主的な行動をしないと勝てないんですね。そういうことを前提に訓練するわけですから、自然に軍隊はだんだん市民社会とズレた連中になっていってしまう。

最初の質問にもどるけれど、防衛「庁」を防衛「省」にしたら、自衛隊員たちは“プライド”を持つでしょうね。

今の自衛隊だったら、普段は交通ルールを過剰なぐらい守る。高速道路でなぜこんなに渋滞しているのかと思ったら、自衛隊の車両がただ制限速度を守っているだけなんてこともある。だけど自衛隊のこういったふるまいも、変わってくると思うんだな。

<編集部>
「民主的な軍隊」というのは、形容矛盾のようにも思えますね。

<小林>
本来的に矛盾するんだよ。だから軍隊は、国民の人権尊重を旨として日頃は行動しなければならない。ただし攻めてきたら、敵の人権は尊重する必要がない。だけど敵が武器を捨てて来るのだったら、これまた人権を尊重して扱わなければならない。

実は古今東西、これを完璧にできた軍隊というのはないんですよ。米軍はイラクのアブグレイブ刑務所でひどいことをやったけど、実はあれが軍隊の本質なんだよね。

<編集部>
小林さんは、もともと憲法で自衛隊の保持を完全に認めて、侵略者に対してしっかり自衛戦争を戦えるような軍隊を持つべきであり、国際貢献として国際紛争にも介入すべきだという立場ですよね。

<小林>
僕はそういう立場だったけど、今はちょっと考え直しているんです。つまりイラク派兵のいきさつを見ると、日本の政治には法の支配、法治主義がない。

軍隊をシビリアンコントロール、人と法で縛るというけれど、日本の政治と国民にはその能力がないんじゃないかと思い始めています。だから自衛隊をまだ日陰者にしておいたほうが危なくないかも知れない。

<編集部>
そういう政治的能力が日本にないことがハッキリわかったという意味では、小林さんにとって今回のイラク戦争はとても大きかったわけですね

<小林>
すごくショックだった。「うわっ、あいつら、なんの運用能力もないんだ」ということがハッキリわかった。と同時に、そういった政権を支持し続ける国民大衆も信用できなくなった。

彼らの言う根拠は、「今アメリカに付き合っておかないと、北朝鮮が暴発したとき助けてくれませんから」。自民党の誰に会ってもそう言うから、本気でそう思っているようです。

でも北朝鮮が暴発したら、韓国や台湾、日本にある米軍基地からアメリカが北朝鮮を蹴散らしますよ。中国やロシアに対する牽制もあるから、北朝鮮を押さえ込めばアメリカが有利になるもの。

アメリカが北朝鮮を押さえたら、日本海までアメリカのものになるんだから、手を出さないわけがない。イラクを手伝わなくても、絶対アメリカは「自分たちのために」結果的に日本の基地を守ってくれますよ。

それにそもそも今回の「イラク侵攻」は、本当は「イラク侵略」だった。アメリカはイラクが国際法違反の大量殺戮兵器を備蓄していると言っていたにもかかわらず、その情報はCIAの捏造だったじゃないですか。それでイラク全土を支配したのは国際法違反、典型的な侵略戦争です。

それに抵抗もできずに、ただついていくだけの日本の政治は何なのか。友好国というのなら、アメリカに説教して退くぐらいの勇気が必要ですよ。

護憲的改憲④

2006年08月18日 | つぶやく
JCメンバーから、そして一般市民の方から、
色々な意見がでてきて
「これからの日本、これからの茨城」の方向を明確にしていくことが
できるように9/3にむけてがんばっていきましょう!

この記事は憲法フォーラム時にも千波湖で集会を行っていた護憲派
伊藤真氏のホームページから紹介していますので
改憲派の我々には違和感を感じる方もいるかもしれませんが
色々な意見から方向性を明確にしていきましょう。

では、では、・・・つづきを。

イラク派兵に象徴されるように「法の支配を完全に無視する」
政府・自民党に大きな失望を隠さない小林さん。
立憲主義を守らせるために、権力者の堕落をこれ以上許さないために、
私たちにできる二つのやり方を提示してくれました。


<編集部>
2003年7月、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(イラク特措法)」ができた当時、小林さんは強い違和感を持ったようですね。

<小林>
 法の支配を平気で無視するというのは、小泉首相を中心とする二世、三世議員の独特の世界ですよ。

これまで政府としては、法制局の解釈に縛られて、国内で自衛戦争はできるけれど(専守防衛)、海外ではいかなる理由であれ戦闘行動をしたり他国の軍隊の戦闘行動と一体化してはいけないと言ってきた。


だからイラクに行くにしても、戦闘行動をしている米軍と一体化する行動はとれるはずもないし、戦場に行くということは戦争に巻き込まれ、戦闘する覚悟で行かなければならない。

なのに、イラクの中に「非戦闘地域」があるという嘘をついて行かせたわけですよ。自分たちで作った言葉の条件を、自分たちで無視したんです。全土が今だ戦争状態のイラクに、非戦闘地域があるというフィクションをつくったことは、知的に許せない。

イラクの人たちは、米軍という世界最強の正規軍と堂々向かい合ったら殲滅させられて国を建て直せないから、地下に潜ってゲリラ戦で抵抗しているわけですよ。侵略米軍と傀儡政権、そしてイラクの民衆の支持を受けた抵抗軍勢力との間で、形を変えた戦争が続いているんです。

つまり、今のイラクは「戦場」。ヒット・アンドランでやっているので、サマーワに線を引いて、「ここは非戦闘地域」だなんて誰も決めようがない。

極め付きは、国会での党首討論のときに小泉首相は「非戦闘地域はどこですか」と菅直人に聞かれて、「私に聞かれたってわからない」と言ったでしょう。わからない人が自衛隊の最高司令官として、非戦闘地域を認定して出動を命令する、そんな無責任はないですよ。

それに、非戦闘地域というのなら、なぜ派遣された自衛隊員は重装備なのか。非戦闘地域なら手ぶらで行けばいいのに、今までの自衛隊のなかでも最高の装備でしたよね。その上、行ったら核シェルターみたいなところに閉じこもっている。この嘘が嫌ですね。

それから、米軍の輸送支援をしているのは航空自衛隊です。輸送支援がなかったら、米軍は戦闘行動を継続できませんよ。これで米軍の戦闘を手伝っていないとは言えないのに、自分たちが立てた9条解釈の概念と論理を、自分たちで裏切っている。これは、国民との約束と議会との約束を裏切っていることになるのです。

<編集部>
でも、衆院の憲法調査特別委員会で小林さんが参考人で招かれたとき、自民党の憲法草案に対して「90点」という高い点数をつけていましたね。

<小林>
僕は日本国憲法をいいものだと思っていますから、日本国憲法のバージョン・アップならいい。今の日本国憲法はテクニカルには、書き直さなければならないものはいっぱいあるんですよ。改憲論議を緻密に積み上げてきたテクノクラートの僕としては、改憲すべきアイテムに自民党は9割方気づいてカバーしているから、そこは認めるということです。


ところが、前提となる憲法観が狂っているんです。だから愛国心などを持ち出して、愛を法で強制しようだなんて、信じられないことを考える。

<編集部>
それにしても「90点」というのはずいぶん高得点ですね。

<小林>
では、別の言い方をしましょう。バケツにたとえると、底の面積のうち9割は埋まっているけど、1割はカポッと穴が開いている。どっちみち使い物にならないのは事実です。まあこれは、ほとんどお世辞と皮肉なんですよ(笑)。当の議員たちには、通じていなかったようだけれどね。

護憲的改憲③

2006年08月17日 | つぶやく
今日の内容は、少子化問題にもつながる良い葉梨(?)ですよ!
*葉梨先生「憲法フォーラム」有難うございました。
メインフォーラムのPRを少し書いて残暑見舞いだしておきました。^^

では、では、・・・

<編集部>
前述した『ルポ 改憲潮流』では、小林さんも著者にインタビューされていますが、小林さんの「私も、しかし、年を取ってわかってきたんです。人間の命の重みをね」という発言が強く印象に残っています。あの言葉の意味することについて、もう少し聞かせてください。

<小林>
本当にこれは恥ずかしい話だけど。私は権力者の子でも、金持ちの子でもないし、むしろハンディキャップを負って生まれて来たから、子どもの頃はいじめられたことしかなかった。それで「勉強するしか道はない」と思ってガリ勉をやって、アメリカのハーバード大学へ留学し、帰ってきて慶応大学の教師になった。


当時は憲法学者で改憲論を唱えるのは珍しくて、しかも右翼的な大学じゃないから、けっこう若くして自民党の改憲派の勉強会に呼ばれて、参加するわけですよ。権力者サークルの中に、年の若い僕が「先生、先生」と誘われる。僕も二世、三世議員と同じような感覚になって、ズレていったと思うんです。

たとえば9条論でいえば、非武装中立で国を守ろうという人がいたら、「それで襲われて滅びたらどうするのか、それは非常にプライドのないことだ」と反論をしていた。

万が一抵抗して戦争になっても、一部の人が死ぬことによって、全体が残ればいい。1億人を生かすために、1万人が戦争で死ぬなんてことはあるだろう。「1万人もコストのうち」なんて、数字上のゲーム的な感覚があったわけですよ。これはまさに権力者の感覚だと思う。

まず自分が戦争に行くなんて思っていない。自衛隊に行かせて、自分自身は国家の中枢だから安全なところにいる。そういう感覚で私も議論していた。

ただ、売られた喧嘩は買わなかったらやられるし、占領された国の男は強制労働か反発すると殺され、女は犯される、というのが歴史の示すところだという考えに、今も変わりありませんが。

その意味で、戦争というのはさせちゃいけない。だからよく管理された民主的な軍隊を持つことによって、攻められない、攻めにくい国だというプレゼンスは必要だと思う。

ところが軍隊というものは、本来的に非民主的だということに最近気づいた。いま、それで悩んでいるのです。

それはそれとして、人の命というものを統計学的に考えていたわけです。ところがいま57歳だけど、34歳のときに初めて子供ができた。

生まれてきた赤ちゃんをウチの家内があるときギュッと抱きしめて「よくぞウチに生まれてきてくださいました」なんて挨拶しているんだよね。赤ん坊は抱きしめられて、息苦しくて顔が一瞬引きつるわけ。ところが、愛されて抱かれているんだとわかったら、子どもはヘナッという顔に変わる。

そういう姿をたまたま目撃して、ちょっと感ずるところがあった。この命も一つの命だ。1万人も誤差のうちなんて、そういう議論をしていたけれど、もっと、戦争と命の問題を深く悩みながら考えるべきではないかと。

それから戦争映画や戦記物なんかを見たり読んだりすと、ゾッとするようになった。

それを家内につぶやいたら、「よかったわ、あなたにそういう感覚ができて。あなたは優秀で尊敬していたけど、怖い人だと思っていた」と言うんだよ(笑)。まあ、手前勝手ですけどね。子どもを持って、命の尊さがわかったんですよ。

つづく・・・

立憲主義に対する無知・無教養をするどく批判される一方で、驚くほど率直に自らの過去や心の揺らぎを洩らした小林さん。

次回は、自民党の改憲草案や国民投票法案について、
そして護憲派への注文を語っていだだきます。お楽しみに。

護憲的改憲②

2006年08月16日 | つぶやく
今日は憲法の根幹「立憲主義」です。
では、つづきを・・・

<編集部>
『ルポ 改憲潮流』(斉藤貴男、岩波新書)のなかで、筆者が読売新聞の論説委員長にインタビューしている箇所があるのですが、この論説委員は、「立憲主義なんていうのは、大学の狭いアカデミズムだけの話なんだ」ということを言っていますね

<小林>
「立憲主義? ああそんなのは…」っていうその傲慢さ。それが平気でできるというのは、やはり無知だからです。しかしいまの改憲主流派に読売新聞の影響は大きい。その準備に、かつて僕も付き合ってきたのだけれど・・・。

だけど、これは護憲派に言っておきたいけど、きちんとした憲法常識が世の中に浸透していないということは、護憲派がそれをきちんと何十年も語って来なかったということなんですよ。

<編集部>
憲法は国民が権力者である国家、つまり政治家と公務員を縛るものだという、立憲主義の原則を広く啓蒙してこなかったツケがまわっていると。

<小林>
そうです。「9条を守りさえすればこの国は平和で、9条を改正されたらこの国は危ない」なんて言って内輪で会合を開いて、影響力のないところで護憲念仏を唱えて、うっとりしていた時代が長すぎたんです。

そんなことより、小・中・高校と大学の憲法講座、一般教養の法学講座できちんとした憲法教育をすることが護憲派の役目なんですよ。立憲主義の教育を全然してこなかった。それでいま襲われて焦っているわけだからね。

立憲主義は、人間の本質に根ざした真理です。つまり、権力は必ず堕落する。なぜなら権力というのは、抽象的に存在するのではなくて、本来的に不完全な生身の人間が預かるからなんです。つまり政治家と公務員が、個人の能力を超えた国家権力なるものを預かって堕落してしまうということです。

歴史上、完全な人間は一人もいない。不完全だから、必ず堕落するんです。権力者の地位に着くと、自分に「よきにはからえ」となる。だからこそ憲法をつくって権力を管理しよう、そういう仕組みになっているんです。

<編集部>
その点で言うと、自民党の船田元代議士(自民党憲法調査会長)などが「新しい憲法観は、国家と国民が協力するという関係を前提とする」と主張するのは、根本からズレているわけですね。

<小林>
ズレてますね。僕らは有権者として選挙し、国民として納税していますから、すべて国民は、国家に協力しているんです。国家と国民が協力しろと言っているのは、国家権力を握っている人たちです。

1億円もらっても都合悪くなると忘れちゃったり、都合悪すぎると思い出したりする、でも責任は取らないというような人々が国家権力者であり、国家そのものなの! そういう人たちが我々非力な国民に対して「協力しろ」と言うのは、要するに「黙って従え」か「少なくとも批判するな」という話なんです。

僕は弁護士活動をして初めてわかったけど、国家って、本当にちょっとした事実で人を疑ったら、犯罪者に仕立てるために証拠をつくるようなこともやるんですよ。「お前、隠しているな」としか見えないならば、“引っかけて”でも絶対に有罪にしてやろうという意識がある。だから僕は、本当に権力というものは恐ろしいと思っています。


護憲的改憲①

2006年08月15日 | つぶやく
憲法は国民が国家の権力を縛るものという
立憲主義の原則自体を否定するような、改憲論調が目立ちます。
改憲派の論客として知られる小林節教授に、
最近のこの論調についてお聞きしました。

<編集部>
 小林さんは、昔も今も改憲派の論客の第一人者という立場で、1992年には「憲法改正私案」を公表されています。ですが、現在は「護憲的改憲派」と自称されていますね。

<小林>
 僕は、日本国憲法はいいものだと思っています。しかし憲法だって国民が幸福に暮らすための道具ですから、古くなれば修正も必要になるだろうし、もっと良い方向に発展させていくべきだと思っています。

しかし、どうも改憲と言った瞬間から右翼扱いをされてしまうのですが、僕のは、岸信介(第56、57代総理大臣)が唱えたような、戦前回帰的な改憲論とは違います。 

<編集部>
以前お書きになっているコラムに、「護憲派の市民たちは、集会で、『憲法を護(守)ろう!』と叫んでいるが、私はむしろ、『憲法を権力者に守らせよう!』と叫ぶべきではないかと思う」とあったのが、印象に残っています。その発言の根本にあるのが立憲主義ですよね。

しかし、いま自民党中心の改憲論議のなかでは、憲法は国民が国家の権力を縛るものだという立憲主義という前提自体が、自明なものではないかのごとく扱われています。

<小林>
私は最初、これは悪意かな? と思ったんですね。知っていてわざと嘘をついているのかな? と。しかし彼らは基本的に無知なんです。

民法は、私人間の取引の法、商法は、その中の商売人の取引の法、刑法は犯罪の法、訴訟法(民・刑)は裁判の法、そして最上位法である憲法は、国民が政治権力を管理する法だという、法の基本的な役割分担を国会議員が知らない。

だから、愛国心とか教育とか倫理・道徳の問題に、憲法を直に持ち込もうとするようなことが起こるのだけれども、それは、はっきり言って無知・無教養だからなんだと気がつきました。

そして一部法制局の役人とか、改憲派としては有名だけども憲法学者としては無名な何人かの御用学者が、愛国心を憲法に持ち込むような、彼らのやり方に根拠を与えようとしているだけなんですよ。

<編集部>
専門家と言われる人たちの中にも、「立憲主義という見方もあるけれども…」という、あくまで、立憲主義が、一つの見方だというような言い方をする人がいますよね。

<小林>
一つの見方って、それしかないんだけどね(笑)。彼らは、歴史に学んでいないんです。人間というのはみんなで共同生活をするに当たって、専門の管理会社みたいなもの、国をつくるわけです。

人間は一人ひとりバラバラでは生きていけないから、国家というサービス管理会社がある中で共同生活をして生きていくわけです。そうすると、国家というものは、個人の次元を超えた強大なる統制権を持たないと、交通違反一つだって取り締まれない。

かつては、その強大な権力を、一人の個人や家が独占していた時代がありました。すると例外なく、権力は堕落していきます。それは人間が不完全なものだからです。そういった失敗の歴史を経て、我々は学び、長く放っておけば必ず堕落する権力というものに、たがをはめるために、憲法が作られたものなのです。

しかし、自民党の二世、三世議員、世襲で権力者の階級になっているような人たちは、「自分たちは間違えない」と勝手に思い込んでいる。なぜかというと、自分たちこそが権力であり、判断基準だから。民主主義の制度の中では、権力は永遠じゃないのに、自分たちは永遠に権力の座にいる気なんですね。

生まれたときからおじいちゃんは国会議員、お父さんも国会議員、そして自分も当選したという人たちですから、権力を離さないし絶対に間違えない、という前提がある。だから、自分たちを管理するという立憲主義の発想にはすごく抵抗があるんだろうね。

そうこうしているうちに、社会ではさまざまな異常な事件が起こる。そうすると、「世の中が間違っている、国民を躾けなきゃいけない」政治家は法律をつくるのが仕事で、法の法たる最高のものは憲法だから、憲法で取り締まればいい――となる。

そして、国民は国を愛する心を持つように・・・とか、家庭における役割分担をきちんと考えよう・・・とか。これでは明治憲法下で神たる主権者=天皇が「告文」に始まる大日本帝国憲法で、国民に説教をしていたのと同じです。

そういった最低限の歴史的教養も、国家論的教養もないんですよ。それで憲法改正を論じているのは、傲慢以外の何物でもない。

『KURENAI プロジェクト』の3安

『KURENAIプロジェクト』ブログは、「百里シンポジウム」での過程、「整備街・牧場・公園」の構想、有志の動きを随時掲載し、『IBARAKI』といえば「安全な空・安心な食・安らかな体」という3つの安を日本全国、アジア、世界に発信します。  この動きがまちを考える人達に勇気を与え、それぞれが動く事で発展していくことを希望します。