鹿児島から いつ子が来た 2008-02-21 20:12:49 | Weblog ピィ~ン♪ ポォ~ン♪ どなたですか? あたしよォ~♪ いつ子? 泣きたいくらい逢いたかったよ♪ アンタに会うには頭を少し整理して来ないと怒られるから もう年を取って滅茶苦茶になった。 しゃべるしゃべる何を言ってるのか ぺちゃくちゃ ははははぁ 1人芝居涙がポロポロ止まりません 何時もあの時アンタに救って貰わなければ今が無いと 娘がアンタをおろそかにするなと言いよるポロ ポロありがとう エルモも メチャラ クチャラに生きてるよ♪ いつ子可愛くなったね肌艶良いし 元気そうね♪ 一年は来なかったろう? 「年子(としご)でひ孫が生まれた」んだ♪ おめでとう 2/25(月)AM8:00 東村山で待ち合わせ 川越温泉ホテル三光芝居小屋に行きましょう あんたと行くのが一番楽しい エルモ嬉しい
徳川家康の孫→ 松平直正 ←徳川家光が鷹場与える 2008-02-21 07:59:52 | Weblog 家康の孫 直正 家光から 直正は鷹場もらう 三右衛門 直正の鷹場案内勤める 直正は→ 三右衛門に鷹場プレゼントしちゃう「鷹場が境村になる」 三衛門は 直正に大変気に入られる 下屋敷土地(鷹場の事)プレゼントされ 「三右衛門が名主と成る」 「出雲新田」開き→「境新田」→「境新田村」→「境村」と改称された 保谷村(西東京市)の農民が武蔵境駅北側を開発 桧原村の人里(へんぼり)から移住した人々が武蔵境西側を開発 其れが高橋一族 境村に多い高橋氏を名乗る人々先祖は桧原村人里から玉川上水の拡張工事に参加したのが契機となり移住したもの 其の時八坂神社のご神体を運んで氏神様とした 時期は正徳期(1711~1716)297年も前の頃です「2008-1711=297」 その後 前文元年(1736)272年前には新たに玉川上水北側 桜堤に「境新田」が成立これまでの境新田村は 「境村」と改称された 「おしまい」 「おまけ」・・・ 1738年(270年前)新田地の凶作甚だし夏作も秋作も損耗し餓死者あり 代官小金井橋にて給食 玉川上水大橋(境三丁目)に大凶作の年農民に食糧無く お救い米・タネ・こやしを貸付ける応急対策 大岡越前守忠相は武蔵野新田世話役に川崎平衛門を登用
境村の開発 講師高橋繁夫氏 2008-02-21 01:13:16 | Weblog 松枝藩の下屋敷跡の開発から始まる 今年2008-1652=356 2008年今年高橋繁夫氏・銀青会会長・シチズン時計勤務・夕張市会社設立 1652年に(356年前)玉川上水を羽村で取り入れて 境地区まで流して見て 水吐き橋で放流する為(始めは2名で出稼ぎ) 西多摩郡桧原村から武蔵野へ移住始まる (水ハキ八坂神社天王社造る高橋家) (高橋一族) 元の湯92歳長老の 風呂やの高橋 自動車教習所の高橋勇ちゃん56歳が高橋のトップで一族は勇ちゃん勇ちゃんと呼ぶ ソダ(木の枝マキ燃料)ソダ屋の高橋 1654年玉川上水を江戸四谷大木戸まで上水路開通 1657年江戸大火(ふりそで火事)1月19日 1658年江戸大火(吉祥寺門前)江戸の都市計画始まる 1659年武蔵野境に「松平出羽守直正」の用意屋敷置く 広さは(12町四方)玉川上水の南側今の 境南町1・2・3・丁目と 境1・2・3・4丁目区域全体で そこに出雲大社から分けて神霊を祀った 杵築大社 と 境本稲荷社を祀った 1662年三右衛門死亡・・・この三右衛門が凄い人 次回投稿致します エルモちゃん・・・ 2008年元旦杵築大社・・・(杵築大社は三右衛門が設立)