駿河台下では天丼「いもや」が繁盛しているが、淡路町の味に比べれば月とすっぽんの差がある。今日は仕事で専修大まで行ったら、昔のままの天婦羅「いもや」の暖簾がかかっていた。学生時代バイトの金が入るたびに古本漁りに神保町に出るとき、専大前で降りて昼飯に寄った。結婚して一時国立に住んだときは大手町でカミサンも働いていたので「いもや」で待ち合わせをして夕飯を済ました。そんな懐かしさで、待たされるのを覚悟で暖簾をくぐった。
案の上カウンター席と同数の客が後ろで待っていた。もちろん食べるまでじっと我慢。
出てくる手順も量も味もしじみの味噌汁も昔と変わらなかった。これで600円は江戸前ギンポウも泣くでしょう。
でも私は淡路町の「いもや」の味が一番だ。胡麻の香り、濃い目の天つゆが勝るのだ。
でも今は無いものねだりになってしまった。「天府」ともども神田の庶民の味方が消えてしまった。
案の上カウンター席と同数の客が後ろで待っていた。もちろん食べるまでじっと我慢。
出てくる手順も量も味もしじみの味噌汁も昔と変わらなかった。これで600円は江戸前ギンポウも泣くでしょう。
でも私は淡路町の「いもや」の味が一番だ。胡麻の香り、濃い目の天つゆが勝るのだ。
でも今は無いものねだりになってしまった。「天府」ともども神田の庶民の味方が消えてしまった。
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