昨日、仕事で結城、宇都宮に行った。もう何度目だろう、このところ年2回の割合でいっている。
特に結城市に関してはいつも思うことなのだが、公共機関のアクセスが使い物にならないのだ。小山から乗れば10分足らずだが、1時間に2本しか無い。また小山からのバス便がない。何か茨城と栃木の境が人為的な壁を作っているように思える。
そんな結城に仕事の縁で毎年2回、訪れている。ユネスコ無形文化財に結城紬が登録されたが、ご当地で盛り上がりもあまり感ぜず「それがどうした」的な冷たさを感じた。
6月に訪れた時のブログでも述べたが、結城市単独で観光客を呼べる素材は乏しいと思う。
先日訪れた高岡市と同様に、蔵・町家の動態保存も面であれば価値が出るが、点ではあまり意味がなく、保存のデメリットを所有者が受けるだけに終わると思う。
結城のスポット
この街並みとユネスコ無形文化財とどう結びつけるかではなく、長い歴史に耐えた結城紬の技術・技法を今にどのように変容し生かし続けるかが重要だと思う。守るのではなく変容さすことだろう。土佐紙の技法がコンデンサーに、江戸切子がプロジェクターの反射鏡に生かされたように、結城紬は観光ではなくあくまで産業であるとの視点を欠いては「ユネスコ」の価値創造はないだろうと。街並みを眺めつつ思った。
そのあと、宇都宮での仕事で、シャッター通りを歩いた。五十万都市で県庁所在地の商店街と思えない寂しさだ。これは市民自身の責任だし問題だろう。農地を潰し拡散した教育施設、公共機関が利用できない周辺の工業団地、虫食い状態の宅地分譲。車がなければ生活できない街づくりを選択した市民の結果だろう。「マクドナルドのない県庁所在地の商店街」が名物にとなるかもしれない。これまでいつも宇都宮で昼飯をとるが、「ここが旨い」と人様に推奨できるお店には出会っていない。
特に結城市に関してはいつも思うことなのだが、公共機関のアクセスが使い物にならないのだ。小山から乗れば10分足らずだが、1時間に2本しか無い。また小山からのバス便がない。何か茨城と栃木の境が人為的な壁を作っているように思える。
そんな結城に仕事の縁で毎年2回、訪れている。ユネスコ無形文化財に結城紬が登録されたが、ご当地で盛り上がりもあまり感ぜず「それがどうした」的な冷たさを感じた。
6月に訪れた時のブログでも述べたが、結城市単独で観光客を呼べる素材は乏しいと思う。
先日訪れた高岡市と同様に、蔵・町家の動態保存も面であれば価値が出るが、点ではあまり意味がなく、保存のデメリットを所有者が受けるだけに終わると思う。
結城のスポット
この街並みとユネスコ無形文化財とどう結びつけるかではなく、長い歴史に耐えた結城紬の技術・技法を今にどのように変容し生かし続けるかが重要だと思う。守るのではなく変容さすことだろう。土佐紙の技法がコンデンサーに、江戸切子がプロジェクターの反射鏡に生かされたように、結城紬は観光ではなくあくまで産業であるとの視点を欠いては「ユネスコ」の価値創造はないだろうと。街並みを眺めつつ思った。
そのあと、宇都宮での仕事で、シャッター通りを歩いた。五十万都市で県庁所在地の商店街と思えない寂しさだ。これは市民自身の責任だし問題だろう。農地を潰し拡散した教育施設、公共機関が利用できない周辺の工業団地、虫食い状態の宅地分譲。車がなければ生活できない街づくりを選択した市民の結果だろう。「マクドナルドのない県庁所在地の商店街」が名物にとなるかもしれない。これまでいつも宇都宮で昼飯をとるが、「ここが旨い」と人様に推奨できるお店には出会っていない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます