とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

雨の日はオペラ フィデリオ

2015年03月20日 | オペラ

 先日NHKのプレミアムシアターで放映されたフィデリオの録画をやっと見ることができた。ミラノスカラ座の開幕公演とバレンボイムの音楽監督としての最後の公演とのことだった。だからなのか選ばれた演目はフィデリオだった。どうもBeethovenの唯一のオペラはどうもレギラー演目にはなりにくいオペラと見えて、何かの記念行事の演目になるようだ。

 演出がデボラ・ワォーナーという女性で、現代への読み替え演出ということで危惧したが、幕開きの序曲で「えー!!!」と驚いた。序曲がフィデリオではない????。字幕でレオノーレ2番の表示。しかし我が手持ちのブロムシュテットの1805年版のオリジナルバージョンのフィデリオ(タイトルはLeonoreと表記)CDの序曲より短い。スコアーを所持していないので明確な相違はわからない。そして始まる。舞台装置はスカラの持ち味の「豪華絢爛」は影をひそめお手軽、、現代置き換え話故に衣装は「ユニクロの既製品並み、」の簡素というかチープ。だが演出は話の筋を忠実に再現して、変な読み変えなしでまっとうだった。しかも舞台・衣裳・演技に違和感が生じないのが不思議というか「美味い」演出だったと言える。歌手陣も合格点だろう。特にレオノーレのアニア・カンペの男装も似合い良かった。またロッコ役のヨン・グアンチョルの存在感は大きかった。ただ祝典劇だから見られる演目でオペラとしてはBeethovenの名で生き残った作品だと思った。

私の手持ちあれこれ

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 同じNHKの録画に2003年のザルツブルグイースター祭のサイモン・ラトルとベルリンフィルがある。これも現代の読み替え演出だが、昨今のバイロイト同様に演出家の自己満足で、何を表現したいのかさっぱり理解できないしろ物だった。また歌手陣もこれといった印象も薄く、元来このオペラそのものが後述のように、まとまりのない物を演出がそれを増幅しただけのものだった。

私はVTRをDVDにダビングしたのを所持

 昔、バーンスタインがニューヨークフィルを指揮した、Yang People Concertを思い出した。 このコンサートは小学生にクラシック音楽を理解してもらうためのTV番組だった。私はそれをビデオで見たのだが、のっけからこの曲は楽聖ベートーヴェンの失敗作ですと子供たちに話し、その根拠を1つ1つ丁寧に実演を交え、大衆に迎合した男女の三角関係のコミックと自由を求める反権力闘争が夫婦愛により勝利するシリアスな理想主義をミックスした、水と油のごちゃまぜオペラだと解説する汗だくで熱く語る彼の姿勢におどろくとともに、それにこたえるかの如く熱心に耳を傾け素直に反応した子供たちに感動した。

その彼が1978年にウィーンでのLIVE録画だが、彼の解説同様熱い演奏で歌手陣も豪華だが、惜しむらくはロッコ役がネームバリューが弱く知らない歌手だが演技はうまい。ただ彼が熱くなればなるほど筋の粗さが際立ち欠点が大きく出る仕上がりだ。特に二幕幕開にレオノーレ3番が演奏され、なぜかこれだけで見るほうのエネルギーも終わってしまう程の疲れる演奏だ。

 

 カール・ベームとベルリンドイツオペラの演奏は1963年10月20日に日生劇場の杮落しの初日演奏が伝説だが、残念ながら、フィガロ、第九の演奏はCD化されたものを聴いたが、フィデリオはいまだ未聴だ。ベームとフィデリオは戦後のウィーン歌劇場の再開初日も演奏され、何かこのオペラの祝典演奏の定番化みたいだ。このDVDも録画が1970年が示すごとくベートーヴェンの生誕200年を記念したものだろう。しかも映画故に舞台・演奏・歌手陣も演出もまっとうで、伝統踏襲の古典仕立てで揺るぎがない反面古臭い。惜しむらくは、レオノーレの男装にギネスジョーンズが色っぽいのが欠点と言えばそれくらいか。

1980年当時の東独がある種ベートーヴェンの本家をアピールするかのごとく、クルト・マズアとゲバントハウス管弦楽団による、総力を挙げた演奏といえるが、絵のないオペラはオペラでない。音だけではその意図は出てこない。このCDの唯一の特色は、レオノーレの3番をオペラと切り離し、いわば幕が下りてからの演奏でこれがおまけ付きと言える。

同じ当時の東独のメンバーで作られたヘルベルト・ブロムシュテットとドレスデン歌劇場の演奏は、表題をレオノーレとしOrignal version of Fidelio(1805)と表示されていることから、今回のバレンボイムとスカラ座の演奏比較では1番興味を持ったが、結果は絵のないオペラはオペラでないことから明確には結論は出せなかった。音楽的には、序曲はレオノーレ2番で同じ、幕開と1幕終幕場面は同一、二幕冒頭と終幕も同じで、違いは幕内のセリフ部分がレオノーレでは多すぎることだけがちがいとして理解できただけだった。音楽的にはブロムシュテットはすばらしく、これを聴くと、Mozartのオペラをなぜもっと録音しなかったのかと思った。

私が最初にフィデリオを聴いたのは、といっても全曲ではなく序曲と囚人の合唱が17cmのEpレコードに収められていたのを高校の時に聴いたのが最初だった。演奏はカール・バンベルガーとハンブルグ歌劇場のコンサートホールソサエティーという通販会社の付録だった。大学に入ってすぐにはまだ音楽はベートーベンが主だったことから当時若手評論家として名をはせたU大先生激賞のクナンパーツブッシュ(レコード表記はクナッペルッブッシュ)バイエルン国立歌劇場(レコード表記バヴァリア国立歌劇場)の全曲は買えずLpレコード1枚にフィデリオ序曲とレオノーレ3番それに囚人の合唱、終幕のフィナーレだけが収められていた物を購入した。しかし躍動感のない冗漫な演奏はバンベルガーの方がましだと思い、もう1枚だまされて購入したクナのブルックナー8番以来このU大先生は信用せず、クナの演奏も聴かなくなった。

フィデリオは歌劇としては失敗作だが、「自由への勝利」が祝典にはふさわしいと思え、メトロポリタン歌劇場100周年ではバーンステインがレオノーレ3番をウィーン歌劇場再開50周年では小澤征爾が音楽監督として開幕にレオノーレ3番をそして終幕に「囚人の合唱「おお、なんという自由のうれしさ」を演奏した。どちらも非常に感動した。特に小澤の演奏は武力でなしに文化での世界貢献の素晴らしさを感じたのだが、自国でのこの時の反応はさびしいくらいに低いことに、いま改めてこの映像を見るにつけ思う。

これこそまさに文化で世界貢献の演奏がある。戦争で家族を失い、国を追われたショルティーが1995年に国連デー50周年記念演奏会でフィデリオの終幕を演奏した。ショルティー自身が自伝で述べたように平和を失い自由を奪われることがどんなに恐ろしいことかを経験したもののみが語れること科のような喜びあふれるダイナミックな躍動感のある演奏はとても80歳を超えた老人の演奏ではなかった。

 



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