昨年の4月我が誕生日に寺神戸亮のBWV1015,1016,1018のバイオリンとチェンバロのためのソナタを聴いた。そして今年はバッハ自身の誕生日に冒頭のBWV1016のソナタを聴いた。前半プログラム最後に鈴木氏自らの編曲になるBWV769のカノン風変奏曲をプレトーク後に演奏した。これは「カノン」とは何かと、後半の「音楽にのささげもの」への予備知識としての予行練習のような意図だったのだろう。そのオルガン奏者が前二曲でチェンバロの譜めくりをしていた人ではないか。その時はチェンバロに隠れ顔が良く分からなかったが、すこぶるつきの若くて美人だった。しかも私を含め今日の聴衆の大半が東京オリンピックをこの世で見るかあの世で見るか定かでない人々の中にあって、それこそ光輝く一輪の大きな薔薇のようだったが、プログラムには演奏者の名はなかった。
「音楽の捧げもの」についてプレトークがあった。そして小川英晴の詩が紹介され、この詩が自体がカノンであると締めくくられ、演奏が始まった。(先頭の文字縦列が上から読んでも下から読んでも「おんがくのささげもの」とされ、詩自体が上から読んでも下から読んでも同じで文字列の形象がバッハのBになっている)
演奏は、私の手持ちの、カール・リヒターとデイビット・モロニーを足して2で割った演奏で、輪郭が明確でありながら、バロック的な躍動感も感じられる素晴らしい演奏だった。そのバランスが心地よく、久しぶりにコンサートでうとうとするほどリラックスできた時を過ごせた。
私の手持ちあれこれ
①カール・リヒター、オーレル・ニコレ他
大学の時代に先輩への結婚祝いの返礼に頂いたものだが、名盤と言われ、「音楽の捧げもの」はこれで決まりと思いCD時代になってもこのLPを聴き続けてきた。今日のプレトークではないが、カノンの一つひとつを明確に提示してまるでレントゲンで写した骨格を浮き立たせるような演奏で、これがカノンだと有無を言わせない演奏だが、今日の演奏を聴くと音楽ではなく音学に思える演奏でもある。
先日24bit,96kHzでハイレゾ化を試みたが、擦り切れたノイズが多く結果は失敗した。
②デイビット・モロニー
古楽の鍵盤音楽の研究者であり、演奏家として評価の高いと言ってもヨーロッパでのことで、日本では国内版は販売されなかった?し、英国人の演奏家はなぜか「本家・本場の演奏」ではないとのことなのか、某音楽雑誌の評論家にはでは無視される傾向にもあり、タワレコの確かイントシケイトで紹介され購入したものだ。演奏自体は学術的で、時代考証に即したものなのだろうが、そのような知識に乏しい私には、非常に穏やかで心地よい音色が、バックミュージックとして適し、安らぎを得られるCDだ。
③イゴール・マルケヴィッチ+フランス国立放送管弦楽団
二人のイゴールとしてストラヴィンスキーと並び称された、マルケヴィッチは1941年を最後に作曲家としての活動をやめてしまった。その後は編曲者として最初に広く演奏されたのがこの「音楽の捧げもの」だとのことだが、かれの音楽の特色でもある原色をぶつけ合うような音色が活かされており、面白いが、モノ録音名のが惜しまれる。
④ネビル・マリナー+アカデミー・STマーティン・インザフィールド
このCDも演奏者が英国人だからだろうか、我が国の評価はあまり高くはないが、これこそ2枚のCDでバッハのフーガとカノンがたのしく学べる最良の教科書だと思う優れた演奏だ。
毎週日曜日朝のTBSラジオで子供音楽コンクールの放送を目が覚めたときにはベットの中で聴いている。いつも「これが小学生の演奏?」「中学生でこんな表現ができるんだー」と驚かされている。小澤征爾、内田光子と世界の頂点に立つ演奏家を生み出すには広い底辺があることを理解したのだが、ここは一つスポンサーである「ヤマザキパン」にお願いして、「音楽の捧げもの」を主題とした子供作曲コンクールを開催できないだろうか。世界の頂点に立つ作曲家も増えてほしいと思う。
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