とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

所沢ミューズで「鬼才! 天才! ファジル・サイ」を聴く

2012年07月01日 | 所沢ミューズ


 今日は起きるとどんよりした曇り空。先週衝動買いしたタムロンの70-300ズームのレンズテストを諦めた。
3時からのファジル・サイのコンサートに昼過ぎに出かけた。所沢の航空公園をNikon V1をぶら下げ写真の題材を探したが、天気も悪く期待したあじさいも花の色もイマイチで、結局ミューズの事務所2階の図書コーナーで音楽雑誌を読んで開演を待った。
 
 開演時間がくると今日の会場は異例とも思える出足の良さと、本来ならば3階席とステージ後ろのP席の販売がなかったのにもかかわらず3階席もP席も人が入った。おそらく当初の販売は完売したのだろうか、空席はあったのだが。久々に会場に熱気が感じられた。

 ファジル・サイはこれまでも何度か来日しており、TVにも出演したこと、マスコミでもとりあげられていたことから名前は知っていたが、生で聴くのは今回が初めてだった。

 最初のモーツアルトの11番のソナタから、期待どおりの鬼才ぶりが出た演奏だった。テンポの動かし、音色の多彩さ、これまでに様々な媒体を通して聴き馴染んだモーツアルトとは違うオリジナルな音のあふれた演奏だ。トルコ人であることからの選曲であろう終楽章の「トルコ行進曲」はゴージャスなぶ厚いひびきと多彩な音のきらめきを堪能したが、私のモーツアルトではなかったが楽しめた。
 次の「ペトルーシュカ」は本日のハイライトだった。まずピアノの表現力の凄さをみせつけられた。1台のピアノがこれほどまでに表現できるのかと驚嘆した。そしてこれほどまでに多彩に音色が生み出せるのかと、ただただホールに響き渡る音の洪水を楽しんだ。

 後半は展覧会の絵だが、ペトルーシュカのあとだけに期待は膨らんだが、裏切られなかった。これでもかと思うほど多彩な音色がくりだされ、スケールの大きな表現と響きは、ピアノの原曲というよりラヴェルの管弦楽版をピアノ編曲したような錯覚を覚えた。
 これまでピアノ版は58年のソフィアでのリヒテルの実況版を越えるものは無いと思っていたが、今日の演奏を聞くとリヒテルの演奏は墨絵のように思えてくるほど、サイの音色の多彩差に圧倒された。今日のコンサートは楽しめたコンサートだった。


 



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