とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

震災後 1週間

2011年03月19日 | 地震
 3月18日、予定では計画停電第一グループに入り、夕べカミサンから朝食なしと通告を受け、食べずに出勤。これまた昨夜のNet情報で西武線は小手指ー池袋間の運行と確認し、「座れて行ける」と思い込み駅に向かった。しかしいつから飯能始発に変わったのだろうか、小手指始発なしとのことで来た電車に飛び乗った。通勤地獄の発車だったが、これとて被災地に比べれば天国だろう。
 しかし空腹には応えた、今日は淡路町で降りた。みずほ銀行で金を引き出した。ATMの入り口に行員が整列し(8時20分頃)ご迷惑をおかけいたしました。と一斉に唱えた。昨日(17日)のATMの停止を詫びたのだろう。しかしこの日も再びATMのトラブルを起こした。この日のお詫びの整列はなんだったのだろう。
 福島原発の東電同様なにか企業の根腐れ現象を感じてしまった。中間管理職の権限は?、能力は?。トップの資質は論外だが、官僚制の弊害は、「ソビエト社会」になってしまっているのだろう?。平常時は誰がトップでもいいが、非常時に人間力がモノを言う。スべからずリーダーには根回し名人は排除して欲しい、政治も経済もトップは人間力で選んでほしい。
 東電の経営陣は少なくとも一人一人ダルビッシュ以上の寄付を被災者にさしだすべきだろう。前線には下請け企業の社員を並べ、東電もみずほも本社の経営陣の人間力は伝わってこない。



 靖国通りからのスカイツリーは震災当時の東京と同じ青空だった。

 途中でサンドイッチを買い込み事務所で朝食を取りながら、震災報道をチェクした。岩手県山田町にお世話になった方がお住まいだ。しかも海べりの場所で非常に気になった。何処の街もそうだが海岸線はすべて跡形もなくなっている。会社のホームページをひらいても手がかりはつかめない。Googleに会社名を入れた。すると会社に関する事項をが出てきた。震災に関係の無い場所の事業所の電話番号が判った。すぐにそこに電話を掛けた。つながった。女性の方が電話口に出られた。すぐに安否を尋ねると、「ご夫婦ともに偶然東京にいらしたとのことで無事でした。」との答え。ホットした。

 今日は弊社のお取引先の損害保険会社を訪問した。連日社員の安否確認に追われているとのこと。正に船舶保険をはじめ、港、港に営業所があることから、関連代理店の数もハンパではない。震災後の仕事は膨大な仕事であろう。

 なぜかこの日の東京駅前は人影もまばらで静かだった 
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