マルケヴィッチは現在ではウクライナ共和国となったキエフ生まれの貴族の出で、ロシア革命の際に、スイスに亡命した経緯からも本来ならば、1960年代のソ連とは相いれない経歴だが、彼は第二次世界大戦においては、イタリア共産党員として反ナチスのレジスタン運動に加わり、戦後も、共産党員としての活動も行ったことから、ソ連シンパの芸術家として知られていた。
第二次大戦後は、コンサートも録音もかれの才能は、残された録音を見るだけでも、世界中で評価されていたが、1960年代にはいると米ソの対立が激しくなる中で、いわゆる西側からは排除されてきた。ちょうど商業録音がステレオ化された時代から、かれの録音が減少した。半面かれの活動はいわゆる西側から東側での活動がクローズアップされた。私の手持ちには1960、63、64年のモスクワでの録音がある。
DANTE PRODUCTION
上記は1960,63、64年にソ連国立交響楽団に招かれた時の放送録音をCD化したものだが、拍手もはい行ったまさに実況録音の雰囲気はあるが、録音そのものは「聴ける」程度の代物だ。しかし、1960年のブラームスのSymNo4は、1958年にコンセール・ラムルー管弦楽団とステレオ録音を行っており、演奏時間はどちらも41分前後で大差はないが、オーケストラの個性が濃厚に出た演奏になっている。ブラームスの交響曲はよく、春夏秋冬に例えられたり、青春・壮年・熟年・老境と言った人生に例えられるが、60年の演奏はまさに演奏時期の冬のモスクワの演奏だ、しかも地吹雪の迫る演奏だ。対して58年の演奏は哀愁に満ちた人生の黄昏を感じる演奏と言える。
ショスタコの交響曲1番も彼は1955年にフランス国立放送管弦楽団と録音済みだが、この演奏はまさにロシア音楽からソビエト音楽の新たな展望を切り開いたショスタコの音楽に、ロシア貴族の子としてソビエトを拒否し亡命したもののコミュニストとして、故国に戻り演奏した。なぜか指揮者マルケヴィッチは、ショスタコの交響曲は1番だけしか残されていない。息子の、オレグ・カエターノは全曲録音し、世界での評価も得ているが、彼自身は1番だけなのはなぜか疑問が残る。そしてこの曲も1955年の演奏と1960年演奏時間は29分とほぼ同じだ。しかし演奏はフランスとロシアの慣用句的に明るさと暗さの対照的な演奏になっているのが、面白い。しかしここではづランス放送管弦楽団の演奏が、ショスタコの才能を余すところなく表現している演奏だと思う。
マルケヴィッチは、ワグナーを結構コンサートの曲目に取り上げていたそうだが、残念なことに、オペラ全曲は残されていない。そんな中で1963.05.25の演奏会ではワグナープロを行っている。ワグナーの代表作のオーケストラピースをは詰め込んだ演奏会だった。しかしこの演奏会は下記のスウェーデン製の「Jimmy、Classic」盤が、「ジークフリートの牧歌」も含まれ当日の演奏曲目が納められている。またこれは上記のいわば海賊版的な録音音源の出所が不明で、録音自体も出来は良くないのに比べ、ソ連崩壊後の1997年に国営だったソ連のレコード会社「Melodya」からの原版に基づくもので、音質は改善され聴きやすくなり、普通のCDになっている。このCDは貴重品だ。マルケヴィッチが現代作曲家目線で、いわばワグナー音楽を解剖学的に分析した演奏だ。したがって「ワグナー音楽」のだいご味である、音のうなりと混濁した響きが、見事なまでに整理されてしまい、当初期待した、ソ連国立交響楽団のトレードマークでもあった「野暮で下品とまでは言わないが力任せの迫力」が消し飛んだ演奏になっている。
前期のワグナーに劣らず、驚かされたCDは1960.11のモスクワフィルとのヴェルディのレクイレムだ。
とにかくイタリア物では高音部、ソプラノ、テナーが花との先入観を打ち壊すヴェルディだ。私は1953.04.30録音のフランス国立管弦楽団との同曲を所持しているが、この曲が同じとは思えないほどの相違に驚く。
彼の演奏は、演奏者の能力を極限まで引き出すことにあると思った。そしてその演奏者の能力を引き出した結果が「唯一無二の作品」であることに価値を見出したのであろう。凡人の先入観に凝り固まった私の理解をはるかに超えた彼の演奏にただ驚くばかりだ。
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