28日 痰が止まらない、花粉症と思っていたがどうもおかしい。やむなく29日に長時間の診療待ちを覚悟で、腎臓を見ていただいている先生の病院に行く。予約日でない日に訪れたので先生も気にされ、さほど待たずに呼び出された。事情を話すとすぐにレントゲン科に回された。結果は軽度の気管支炎とのことで、薬を出してもらえた。医療問題では、常に町医者と総合大病院が問題にされる。そして識者は「ホームドクター制」を声高に叫ぶが現代医学においては、医療機器の役割は大きなウエイトを示し、医者の問診よりも、目で確認できる病原の正体が初期診断では非常に重要と思われる。むしろ医療は装置産業に近いと思われる。したがって、現在の医療においては、そうした医療機器を最大限駆使できる技師の養成こそが重要であり、医療改革のポイントだろうと思う。先日TVで金沢の歯科医院が紹介された、ここでは歯科医の役割よりは歯科衛生士の役割の重要性が明示された。むしろ医療技術者の職務拡大と、メディカルモールの普及拡大こそが、今後の日本の産業構造に医療機器をトップランナーに据えてこそ、日本の持続ある発展が可能ではないか。日本の医療は行政と医師会の癒着こそが、半日待たされ3分間診断の日常医療を招いているのではないか。と思いながら病院を後にした。
翌日は名目は高校時代の「クラス旅行」の結団式だが、実態は旅費の精算払いと切符の受け渡し会だが、理由はともあれ旧友に会えるのは楽しみだ。しかし埼玉の僻地からただそのために出かけるのは「我が貧乏根性」が許さず、前日の天気予報で雪の湘南平をイメージし出かけることにした。 しかし朝起きると雪ではなく小雨、せっかくアマゾンで注文し予定通り前日に到着した滑り止め防止の靴底につけるスパイクが不要になった。それでも予定を決行し7時27分に下山口駅発、土曜日とはいえラッシュ状態、西所沢に来た急行池袋行きも混んでいたが、サラリーマン時代に身に着けた心理学がズバリ当たり所沢で座れた。池袋では湘南ラインに乗り換え予定通り大磯に9時30分に着いた。しかし駅を出ると小雨。すぐに駅近の観光案内所に行くと、コピーA3の湘南平の登山マップが用意されていた。「所沢から来た」というと「天気が悪いのにわざわざ来てくれたのですか」と言って別の大磯の観光地図をくれた。
地図を開くと、明治の政財界の大物たちの別荘、江戸の大名家の別荘の列挙に驚いた。放火消失された吉田茂の別荘が有名だが、明治の代にはこの地の住人は麻布・麹町同様の人種が生活していたのだ。きっと旨いものが食べられる店があるに違いないと次回の楽しみが増えた。急きょ雨の湘南平は視界が悪いと判断して海岸に出ることにした。すぐにTVに使用されたのではと思う洋館があった。
このわきの坂を下ると海岸:大磯港の出た。大磯=照が崎=アオバト:はあまりにも有名だが、「今はもう冬何もないない海」アオバトは丹沢の本宅から京都御所?の別宅に移ったそうで、今度のクラス会での冬の京都で会いに行くとした。
島崎藤村が眠るという地福寺には梅がさいていた。すぐ近くに「新杵」という和菓子屋さんがあった。西行という焼き菓子を買った。@¥130 甘さ控えめな餡が上品な味わいで濃い目のお茶に会うが、島崎藤村・吉田茂が好んだ和菓子と言われても、それだけでは商売は続くとは思われない。大磯アオバトの知名度が上がれば「アオバトサブレ」が登場するかも?10時46分の電車で小田和駅に着き、すぐに観光案内所に出向き先日NHKで放映された「ブラタモリ」のロケ地を教えてもらい、地図をいただいた。しかしクラス会の開始時間12時までの1時間では徒歩では無理とあきらめ、お城の梅でも撮るかと出向いたが、お城は耐震工事中で覆いがかぶさり、仕方なく梅の花をと思うがアングルに電線が写る。どこもそうだが歴史的景観地ぐらいは電線の地中埋設を進めるべきだろう。と思いながらクラス会参加。クラス会は14半に」お開き、15時04分の快速高崎行行きで池袋、晩飯なしでと家を出た手前、デパ地下で我が夕食を仕入れ帰宅。
PCを開き曇り空の写真を撮るのは難しいものだと「晴れの日の写真」もうまく取れないもののいうセリフではないが、つくづく思った1日だった。
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