とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

オリベ・メシアン生誕100年

2008年12月25日 | LPレコード

今年はメシアン生誕100年とのことで、メシアンがクローズアップされるかと思ったが、メシアンでは商売にならぬとみたか、市場はカラヤン生誕100年一色で終わったようだ。
私自身メシアンを知ったのは1979年にフランスのエスプリシリーズとして、1枚1500円のLPが出た時に、プーランクなどとフランス近代の作品を買い求めた時にはじまる。
セルジュ・ボドは大阪万博の時に来日して「忘れられた捧げもの」を演奏し評判になったことから気になった指揮者だった。「死者の復活を待ち望む」と組み合わせで発売された時にすぐに買い求めた。その後CDで「時の終りのための4重奏」の付録でハイティンク盤を入手したが、パリ管の色彩感が際立つボドー盤が気に入った。しかし熱中するほどの感動は得られなかった。

正直「時の終りのための四重奏」も現代音楽とはこんなものかといった感想しか持てなかった。
小澤・トロント交響楽団との「トゥーランガリア交響曲」が話題になったので購入したが何か違和感を感じた。英誌「グラモフォン2008AWARDS」特集号で、コレクションコーナーではHISTRICAL CHOICEとして小澤盤が選ばれて、ULTIMATE CHOICEとしてケント・ナガノとBPO盤が選ばれていた。

生誕80周年記念コンサートのLIVE盤を入手した。メシアンの名声が理解できず、彼の弟子として後継者ともいえるP.ブーレーズの企画演奏で行われたコンサートで、真のメシアンが聞けるものかとの思いでCDをきいたが、独奏者もメシアン演奏のスペシャリストI.ロリオの参加をえてのいるものの、あまり共感を得るまでにはいたらない。

その後も鳥好きゆえに「鳥の歌」の表題に魅かれ購入したが、これまた共感はできないままである。むしろNHKの自然のアルバムに出てくる野鳥のさえずりの方が心の安らぎを覚える。

結論的には40年近くかけて、メシアンと付き合ったが、私にはこの音楽の良さが理解できなかった。小学校以来音楽はメロディー、リズム、ハーモニーの3要素から成り立つものと組み込まれた脳では3要素の一つでも欠けたものは受け付けなくなっている。メシアンの音楽に進化はあったのかすら疑問を感じる、100年生誕の年であった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿