土曜日にパソコンがNetにつながらぬようになった。土日にかけて修復作業を行い何とかもとに戻ったが、Googleからはログインパスワードを変更しろとの指示が来るなど不安が広がったが、つながらないことにはやりようがなく、指示に従い、Cookieを有効にする指示に従い、何とかもとに戻ったが、そもそもなぜそのような作業をする羽目になったかが依然不明のままなのが不安だ。
とりあえずNetにつながり、メールを見ると、大学時代のクラスメイトの「K君の逝去のお知らせ」が幹事からから届いていた。卒業以来続いている少数派のメンバーだが、K君と私だけが、癌治療を受けていたことから、酒なしの宴会参加者だっただけに、戦友を失った。それにしても彼の東南アジア、中東、アフリカそして南アフリカでつかんだ事業を日本で成功させた起業家としての生様を近くで見、そして自分の意思道理に、終焉の地を南アフリカに求め荼毘に付され散骨したと知らされ、胸を打たれた。その夜は、なぜか、1995年5月から6月に7夜にわたりサントリーホールで行われたピエール・ブーレーズの企画演奏による「21世紀へのプレリュード」と題されたコンサートの録画ビデオを見ていた。寝たのは3時過ぎていた。昭和の時代と平成の時代を生きてきた我が人生。団塊の世代が、今の政権から見れば「お荷物世代」と言われる世の中になっていく。その意味ではK君の生きざまは「国家にたよらず。組織に頼らず、自立した個人の意思で生き抜いた人生だった」と、私にはできなかったうらやましい生様だった。
朝起きるのはつらかった。10時に予約したさくらの動物病院へ行った。さくらの病状は数値的には改善されてきたが、腎臓については、結局は点滴とサプリによる、対応しかなく、今後はある意味「人工透析」同様の対応となる。(猫の人工透析も実際に行われているとのことだ)さくらの場合は、点滴による対応だが、とりあえずは300mmLの点滴を100mmずつ8時間ごとに行うことになった。数値の動向によっては1日100mmずつ2回まで下げられるそうだ。先生から点滴の指導を受け、帰宅し、再度5時に病院へ行き、二度目の点滴を先生の指導の下に私が行い、検査結果の報告を受け、当面家庭で1日3回8-16-24時に点滴を行うことで、退院となった。
点滴と腎臓病対応のキャットフード、および造血剤を購入し帰宅した。帰宅し今しがた点滴を行うためさくらの部屋に入ると、すぐにカーテンの後ろに隠れたが嫌がるさくらを移動用のケージにカミさんが閉じ込め私が点滴を打った。その後しばらく私の膝で寝ていたが、寝床に戻し、1日が終わった。正直どっと疲れが出たが、やるっきゃない!!。世界を見れば、満足な食事も得られない多くの子供がいることは承知しているが、7年間ともに暮らしてきた「猫」を、見殺しにする気にはなれなかった。
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