1972年4月、札幌オリンピックで日の丸の歓喜に包まれた宮の森のジャンプ競技場の近くに、私はサラリーマンの1歩を歩んだ。その後の3年間は、北海道内をそれこそ仕事と遊びでくまなく歩き回った。
これまでの人生の中で1番自由気ままな、好き勝手な生活をしていた3年間であった。音楽も、山登りも、そして写真も一番密度の濃い時間を費やした時でもあった。
6月10日。朝1番の訪問先に向った。泊まったホテルはたぬき小路でアーケードを歩き交差点で止まると、道庁の赤レンガ館が目に入った。北1条通りに勤務先のビルがあったのを思い出した。大通り公園を歩かずに北1条とおりに出ることにした。
変貌激しい札幌の街だが、我が最初の勤務先だったビルは、入居者は変われどビルは元のままだった。
訪問先の斜め前は市民会館だった。ここは札幌に来て直ぐに札幌交響楽団の定期会員になり常任指揮者ペーターシュヴァルツの演奏を聴き彼が日本を去る時に私も札幌を離れた。
定期のプログラムに2度ほど投稿し原稿料代わりに頂いた、LPを今も記念に保存している。
帯広駅のホームの自販機にガラナがあった。懐かしさのあまり買ってしまった。しかしよくみると「キリンガラナ」であり昔の飲んだガラナではなかった。しかし味はよく飲んだ小樽の味ではなく、函館?の味に近いと思った。そういえば北海道に暮らして驚いたのはコカコーラが少なく、道内各地にあじの微妙に違うガラナがあったことを思い出した。
釧路のバスセンターで空港行のバス待ちの時間に喉が乾き売店に行くと「カツゲン」が置いてあった。ただし昔と違い紙パックで「ソフト」の文字が付いていた。これも今回再発見したものだ。今まで何度も北海道へ行っているが、なぜか出会う機会がなかった。貧乏会社の乏しい出張予算で、いつも駆け足。ほんの僅かな時間まちの発見ははるか昔の思い出を呼び戻してくれる。
人は見たいものしか見えない。今回の発見はある意味自分が一番いきいきしていた「青春」の舞台と小道具の再発見のセンチメンタルジャーニーだったのか。40年前の思い出が蘇った。
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