とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

ジジーの小旅 秀吉一夜城に登り、高校同窓会に出席。

2016年03月21日 | ジジ・ババの小旅

 某国立大学の総長を退官した、M.T君が帰郷する機会をとらえ、我がクラス旅の名幹事S君が「M.T君を囲む会」を企画し呼びかけメールが届いた。かねてより会いたい旧友ゆえに、即答した。そしていつものように、脳力と脚力の衰えに対する、「進行遅延措置」として、知らない街の、知らない道を決められた時間内に10Km以上を歩く課題をだした。今回の目標は小田原市の石垣山一夜城に決めた。

 最寄駅下山口駅7:47分の予定より1本早い電車に乗れた、当初予定は秋津駅で乗り換え、武蔵野線の「ホリデー鎌倉号」で横浜に出て、早川のコースだったが、西所沢乗り換えでちょうど来た電車が横浜中華街行でしかも座れたことから、そのまま続行、スマホで調べると横浜到着は当初予定より30分早く着くことになった。横浜駅で朝食抜きで家を出たことから「シュウマイ弁当」を買った。出来立てでまだ温かい、すぐに食べたくなり、できれば「駅弁はボックスシート」食べたいと、先頭車両の乗車位置に移り、すぐに来た国府津ゆきの電車に乗った。予測通りにBoxシートに座れすぐにパク付いた。久しぶりに食べた「駅弁シュウマイ弁当」は美味かった。国府津で当初予定の熱海行きの電車に乗り換えた。混んでいた。とても横浜ではBoxシートには座れず駅弁は食べられなかったと思うと今日の判断は正解だった。しかし車両基地があるというだけで、国府津どまりの電車をなぜ走らすのだろう。小田原駅まで延長することでどれだけの収益に影響を及ぼすのだろう。おそらくお客の利便性を考えれば、小田原どまりが筋だろう。早川駅に初めて降りた。雨がポツリと落ちてきた。正直、観光パンフと逆コースを敢えて選んだのは、天気予報を信じ、人が少ない=鳥さんに逢える確率が上がるとの判断だった。雨の確率が高ければ入生田コースを選び、雨模様次第でK君ご推奨の平賀美術館、個室温泉コースを選んだのだが、と思いながら空を見上げた。本降りにはならないと決断し続行、海蔵寺に着く頃は上がり始め、10分後にはやんだ。すぐに新幹線と小田急ロマンスカーの撮り鉄向きのスポットを通りそれこそカメラ旅だが、いかんせん車道を歩くのは減点コース。「地図を見ればわかるだろう」と言われればそうだが、ハイキングコースとするならば、どこかに歩道コースがあってもいいだろうと思う。 

45分で一夜城駐車場広場に到着、天守閣跡地には11時半に到着した。出会った鳥さんはヒヨドリだけ、鳴き声は鶯だけだった。狭山丘陵ではガビチョウが侵略中だが、ここでは声も聞かない。

 下りも農免道路だが、登りほど自動車のすれ違いはなかった。観光パンフには鳥さんマークの連続で期待したが、冬鳥と夏鳥の端境期のためか見かけた鳥はホオジロとウグイスだけだった。

 紹太寺には12時半に到着、枝垂れ桜の場所を尋ねると、「せっかくお見えになられたのだから、石段を登って一周されたらいかがですか」と言われ従った。石段の歩幅が狭く急なこともあり結構きつかった。たどり着いた枝垂れ桜は0.5分咲き状態であった。見慣れた地元所沢の金仙寺の枝垂れ桜も見事だが、寺の境内に押し込められた枝垂れ桜と違い、長興山の枝垂れ桜は山間に溶け込み、満開であれば木々の緑と草の緑とのコントラストを想像しただけで再度訪れたいと思った。

 13:12分発の小田急線で小田原に出た。神田で育った私は万世橋にあった旧交通博物館は遊び場だった。鉄ちゃんだった。小学校から時刻表は愛読書だったし中でも神田の街を走る都電はどこまで乗っても均一料金ゆえに好きだった。そんな子供の時の情熱が入生田駅で再燃した。これまで何度も箱根登山電車に乗っているが、乗り換え時の混雑と乗り換え電車の発車時刻に気を取られ見向きもしなかったのだが、入生田駅の線路はまさに「三線軌条」の広軌と狭軌の相互乗り入れ線路ではないか。箱根登山鉄道が、箱根湯本駅始発になった時に勝手に廃止されたものと思っていたが残っていた。後で調べると入生田に登山鉄道の車庫があるためとあったが、車庫は気づかなかった。

小田原駅について、久しぶりに立ち食いの「箱根そば」」を食べた。好きな蕎麦も寿司も原点は「早い、旨い、安い」のプロレタリアートの食い物だった。いつごろから、ミシュランを欲しがるブルジョア食に変貌したのか知りたいと思う。

 14:30分。この日のメインイベント。M.T君との半世紀ぶりの再会。一目でわかった。老いを感じさせない風貌。未来志向の科学者の脳細胞は、常にリフレッシュされているのだろう。それにしてもわれらがクラス旅の会永世幹事のS君のプロモーターぶりは群を抜く。母校とは言え休日の公立高校の校舎を、母校の同窓会事務局を引き受けているU君を立てて案内していただいた。新築された校舎は、きれいで清潔感にあふれ、ファブリースをいくらかけても消えない男の汗臭さの充満した校舎とは別物だった。廊下に展示された各コンクールでの受賞の美術作品に共学になったとは言え女生徒の活躍ぶりに目が行った。講堂に入るとたまたま演劇部がコンクールに向けての稽古中だった。商業ホール張りの設備に加え、ここでも女生徒の活躍ぶりが目を引いた。「男はどーした。」と叫びたい気持ちを抑えた。

 我が記憶に残る母校の面影は片手ほどしか見いだせなかった。これが50年の歳月なのだと思った。K君を加えての5名での母校見学会を終え、夜の部の懇親会に入った。定例会場が休日休みとあって、下戸のS君には難問発生だがそこは人材多彩な我がクラス、飲み会からの参加のT君の案内で会場確保に成功、そして一杯の杯で半世紀の空白時間が瞬く間に埋まってくる不思議な時間帯だ。認知症予備軍の恐れがあると、かかりつけの医者に脳ドックを進められ、結果は「まだ大丈夫」と言われたものの「三日前の食事の内容」がすらすら言えない身なのに、半世紀前の記憶がよみがえるのは、なにが要因なのか?。M.T君から彼の退官記念の巻頭言・インタビュー集の冊子をいただいた。ここでは彼の研究テーマがわかりやすい言葉で説明されている。難しいことを、優しい言葉で説明できる人が、科学者であり教育者なのだろう。アベのミックスとは何かについて政治家はグタグタと説明するが、識者は一言「アホのミックス=つまりバカな政策の集まりに過ぎません」と一言で言い切ることだ。8時前に、現役組でしかも日曜日の仕事帰りにS.T君が駆け付けてくれたが、私のシンデレラタイムが近づいた。距離で見ればM.T君のほうがはるかに遠いが、時間距離と利便性ははるかに近い。我が家は休日には駅から家までの交通機関がなくなるのだ。平日では終バスが出た後でも割増料金の深夜バスが走り、タクシーも駅前に並ぶが、休日はないのだ。今回は小田原を8寺半前に出られたので、終バスに余裕で間に合った。

 M、T君から頂いた記念のセラミック製タンブラーは、アルコール禁止の身にはすこし小さいが「キリン・フリー」専用に使わせていただくことにした。

 1日が楽しく送れた日の積み重ねこそが「幸福」というものだろうその積み重ねが「平和な世の中」というものだ。彼の国立大学総長としての立場で感じた「形式」を押し付ける「国家」の力に、違和感を感じたことが気になる。いつ日本国憲法がワイマール憲法と同様の道をたどるのか法学者は、シュミレーションができているのだろうか。「社会科学」というのであれば再現可能なはずだ。そしてそれを阻止する方法は提言できるはずだ。といらぬことをと思いながら床に就いた。

 

 

 



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