とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

地震の後の墓参り

2011年03月13日 | 地震
 昨日の土曜日は、1日TVに釘付けとなった。地震直後から一夜あけて、被害の想像以上のひどさに驚いた。
 福島の原子力発電所の事故ニュースは気になった。

 オフクロの安否は昨日確認出来てはいたが、気になっていたこともあり、お彼岸には早いが、親父の墓参りを兼ね、大宮にカミサンといった。
 お墓のある青葉園はほとんどが決められたサイズの墓石のため倒壊はなかったが、それでもいくつかの墓石はズレや破損があった。墓碑銘盤が真二つに折れているのもあり、震度5強の凄さを実感したが、幸い親父の墓は無傷であった。

 墓参りの報告を持ってオフクロの入所する老人ホームへ寄った。かねてからオーダーを受けていた硬焼きの草加煎餅を大宮高島屋で探したが、気に入る硬さ煎餅はなかった。87歳にして、自前の歯があるだけでも驚きなのに、煎餅を食べるとは我が母とはいえ呆れる。しかし煎餅の土産は喜んでもらえた。
 ホームでは地震当日、エレベーターが止まり、食事の配膳に苦労し他、介護士さんも帰宅ができなくなり、私同様通勤に苦労したそうだ。ただけが人もなく、平静を保たれたようだった。老人ホームに入れて正解だったと思った。

 帰宅途中に所沢の西武デパートに寄ると6時閉店となっていた。朝食用のパンが売り切れていた。カミサンは地元のスーパーに寄ったがそこも売り切れだった。

 帰宅してTVのスイッチONするとどこの放送局も似たり寄ったりのアプローチで、特に腹がたつのはヘリからの実況放送で「あ、道路がめくれ上がってます。」と絶叫調で報道していることだ。言われなくても映像で判るし「無音」のほうが事実のもつ凄さが伝わるのに、アナウンサーを載せる分救援物資を運べと言いたくなる。また各社が同じようにヘリを飛ばし同じところを写すのなら、共同で1機に絞り、残りをそれこそ人命救助に使えと叫びたい。
 また大事件が起こると必ず訳知り顔で、行政批判めいたことを述べ、情報公開が足りない、指揮系統がうんぬうんと批判ばかりを述べるコメンテイター、とか評論家とかが登場するが、そんな輩に出演料を払うくらいなら、その金を援助物資の資金に当てるべきだ。今必要な、マスコミの仕事は、マスゴミの評論ではなく、市町村の行政組織が消滅した中で、マスコミの取材を元にした、ライフラインの復興優先度の避難先別選択提言、視聴者へは、取材を通じての必要物資の地区別必要量の拠出要請、地区別行方不明者の取材等、情報だろう。インターネットを利用できない人への情報提供がマスコミの任務だとの認識が無いことが、災害報道をスポーツ中継のような絶叫調を当たり前とするバカアナを生んでいる。
 電話回線がわりにTV番組が利用できないのか。安否の確認手立てでNTTを批判する前に生存者指名、行方不明者リストを取材を通して放送出来ないのだろうか。地元放送局の使命だろう。NHKだけなのか。


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