とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

入院中に見たオペラ(その3) 死の都と蝶々夫人  

2007年07月13日 | オペラ
「死の都」 E.W.コルンゴルド 1920年
  H.ホルライザー=ベルリン・ドイツ歌劇場 G.フリードリッヒ演出 1983年
  パウル=J・キング マリエッタ=K.アームストロング 
  LD→DVDにダビング
 天才と言われ、モーツァルトの再来と言われた彼の23歳の作。全編に流れる暗いペシミズムは時代のなせる技か。だがこの溢れる美しいメロディーはなんとも言いがたい美しさだ。この時ラヴェルは「子供と魔法」、ヤナーチェックは「利口な女狐」を書いた。それらに比べ彼には時代を動かす新しい力は無いが、流れ出る音には古き良き19世紀の香りが残る。ここではR.シュトラウスの「ばらの騎士」のハーモニーとプッチーニの「蝶々夫人」のセンチメンタルメロディーの融合が聞かれる。少し前にNHKでライン歌劇場のを見たが、主役の出来とホルライザーの共感に満ちた職人的な音楽の流れに軍配を上げる。
 ヒットラーによって一時は抹殺されたオペラだが、もっと聴かれてもよいオペラと思う。

「蝶々夫人」=プッチーニ=1903年
 L.マゼール=ミラノスカラ座 演出 浅利慶太 1986年 LD→DVDダビング
 蝶々夫人=林康子 ピンカートン=P・ドボルスキー

プッチーニのこの作品は「トスカ」で才能を使いきり充電が無いまま手がけたものと思える。このあとの「西部の娘」同様、消化しきれない日本メロディーとネイティブアメリカンのメロディーの多用でその場を取り繕って出来ている。ここでの見せ場は「歌舞伎」の手法を取り入れ「美しい日本」を演出した浅利の舞台にある。
ただ初々しい蝶々さんを演じるには、林の声は太く無理がある。
死の都に続いて見ると完成度の差が際立つ、その意味でも「死の都」のDVDでの復活と国内で実演が見たいと思った。


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