とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

読経の魅力

2007年12月26日 | Weblog
今年の夏に母の弟=叔父の葬儀があった。昨日、今日とお通夜、告別式と父の弟=叔父の葬儀に出席した。海軍予科練、特攻隊の生き残りと敗戦時満州の地で向かえた叔父。昭和の激動に生き平成の時代に余生を送った二人の昭和史とはなんだったのかと読経の流れる中で思った。
夏の葬儀は曹洞宗、今回は真言宗だったが、どちらも読経の中に音楽を聞いた。僧侶の資質にもよるが、曹洞宗は2人の僧侶の読経であったが、主を務めた僧侶のバリトンの音域とブレスの仕方が実に素晴らしく聞きほれてしまった。音域の狭い読経にあって、リズムとメロディーが正に音楽だった。ただ従たる僧侶のブレスが会わずバスの音質だがハモッテはいないのが残念だったが、葬儀の席でこのとき初めて音楽を感じた。
今回は通夜の席での僧侶の読経がよかった。真言宗の読経がバチの音の序奏と鈴のトレモロから始まる読経は曹洞宗に比べ柔らかい響きとなり平板な一面はあるが、響きの柔らかさが心地よかった。
賛美歌を始原とする西洋音楽の原点と読経の響きに違和感はなかった。むしろ黛敏郎の涅槃交響曲の響きには読経の持つ美しさの根源が消されてしまったような気がした。
連休中バックミュージックがわりに、クリスマスなんだからと軽い乗りでバッハのクリスマスオラトリオを久しぶりに聴いた。もともと言葉を理解できないから、音として捕らえると、この曲は非常に心地よい。マタイと違って音楽に深刻さが無く、随所にバッハの技法がちりばめられ、管弦楽組曲からブランデンブルグ、はたまた無伴奏チェロ曲何でもござれのバッハが顔出してくる。この曲は非常にリラックス気分に導く。宗教を学んだ訳ではないが、読経のなかにも、音楽と同じに脳に直接飛び込むリラックス特効薬作用があるようだ。


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