1月12日 09:45分に予約を入れていたハイヤーが来た。
連休初日で道路事情を心配したが、さすが行政道路は車の数が多かった。地元の運転手だけに旨く航空公園のガードをくぐり、中富ー三芳町ー鶴瀬ー富士見市役所からはこれまでのコースと同様に大宮カントリーから慈眼寺ー桜木町ー大栄橋と行ったが東光寺の入り口を間違えた。途中息子とオーディオの話をしていると運転手ももと電器店に努めていたとのことで、オーディオの話が弾んだが、今ではデジタル化でオーディオもアナログ時代と違ってそこそこの値段でいい音がスルだけに、余程の人でないとアナログにはもどらないだろうから、かつてのような専門店は数少なくなり、むしろ中古の部品が売れているとのことだ。
今回もスムーズに着き、11時に着いた。
正直、集合はどうも遠い人ほど早めに着くものだ。バックミュージックにオフクロが参加した合唱団のCDと大正琴を流した。同じ合唱団にいた叔母が、コンサートの記念写真、その時のプログラムをファイルにして展示してくれた。
東光寺住職3人のお坊さんの読経が始まった。曹洞宗の鳴り物の意味を通夜の前に熱心に聴いていた娘・息子はふたりとも音楽好きだけに興味を持って聴いていたようだ。
私も親父の葬儀の時に、この読経の進行は非常に音楽的に面白かったと感じた。初七日供養も終わり、喪主挨拶になった。おやじの時も。「泣くまいゾ」と思っていたが自然と涙声になってしまった。カミサンからは「良い挨拶だった」と慰められた。
元々が火葬場が取れずに唯一空いていた浦和斎場に合わせたことから、精進落としが火葬時間中になってしまった。
献杯と挨拶は実家の隣に住んでいる叔母の旦那サンにお願いした。本当にこの一家にはお世話のなりっぱなしだ。火葬場に来ていただいたお坊さんは、子どもたちと年が変わらないからか、精進落としの間、質問攻めにして会話は弾んでいたが、参列者のひととの会話がないのは困ったと思った。
オフクロは60代に腰の骨を痛めボルトを埋め込んでいたことから、骨揚げの時に緑色に変色したボルトが出てきた。それも骨壷に入れた。親父同様牛乳好きで毎日飲んでいたが、親父の骨はしっかりして骨壷から溢れんばかりだったが、なぜかオフクロは半分にも満たなかった。
お寺に17:00頃到着してお焼香をして散会となった。
正直ドット疲れが出た。
帰りは昨夜同様娘を大宮駅で降ろし同様の道で帰路についたが、土曜日の夜とあって道路は混んでいたが埼玉大学前までは順調に来たが浦和ー所沢線に入ると車の流れは悪くなった。所沢インターを超えると渋滞になった。すると息子が運転手に裏道を指示し、なんでこんな裏道を知ってるのかと思う道を選んだ。しかし1車線だが対向車が殆ど無く自転車とすれ違う道で、運転手は緊張しただろうが、息子は友達の家に行くときの道だし、以前務めていた会計事務所時代の客先に行く時に覚えた道だと言った。そんなことから時間的には昨日と変わらず料金も10880円の同額だった。
家につくなり風呂に入りすぐに寝た。
何か両親を送り出し、自分の勤めは果たしたという安堵感が湧いてきた。
連休初日で道路事情を心配したが、さすが行政道路は車の数が多かった。地元の運転手だけに旨く航空公園のガードをくぐり、中富ー三芳町ー鶴瀬ー富士見市役所からはこれまでのコースと同様に大宮カントリーから慈眼寺ー桜木町ー大栄橋と行ったが東光寺の入り口を間違えた。途中息子とオーディオの話をしていると運転手ももと電器店に努めていたとのことで、オーディオの話が弾んだが、今ではデジタル化でオーディオもアナログ時代と違ってそこそこの値段でいい音がスルだけに、余程の人でないとアナログにはもどらないだろうから、かつてのような専門店は数少なくなり、むしろ中古の部品が売れているとのことだ。
今回もスムーズに着き、11時に着いた。
正直、集合はどうも遠い人ほど早めに着くものだ。バックミュージックにオフクロが参加した合唱団のCDと大正琴を流した。同じ合唱団にいた叔母が、コンサートの記念写真、その時のプログラムをファイルにして展示してくれた。
東光寺住職3人のお坊さんの読経が始まった。曹洞宗の鳴り物の意味を通夜の前に熱心に聴いていた娘・息子はふたりとも音楽好きだけに興味を持って聴いていたようだ。
私も親父の葬儀の時に、この読経の進行は非常に音楽的に面白かったと感じた。初七日供養も終わり、喪主挨拶になった。おやじの時も。「泣くまいゾ」と思っていたが自然と涙声になってしまった。カミサンからは「良い挨拶だった」と慰められた。
元々が火葬場が取れずに唯一空いていた浦和斎場に合わせたことから、精進落としが火葬時間中になってしまった。
献杯と挨拶は実家の隣に住んでいる叔母の旦那サンにお願いした。本当にこの一家にはお世話のなりっぱなしだ。火葬場に来ていただいたお坊さんは、子どもたちと年が変わらないからか、精進落としの間、質問攻めにして会話は弾んでいたが、参列者のひととの会話がないのは困ったと思った。
オフクロは60代に腰の骨を痛めボルトを埋め込んでいたことから、骨揚げの時に緑色に変色したボルトが出てきた。それも骨壷に入れた。親父同様牛乳好きで毎日飲んでいたが、親父の骨はしっかりして骨壷から溢れんばかりだったが、なぜかオフクロは半分にも満たなかった。
お寺に17:00頃到着してお焼香をして散会となった。
正直ドット疲れが出た。
帰りは昨夜同様娘を大宮駅で降ろし同様の道で帰路についたが、土曜日の夜とあって道路は混んでいたが埼玉大学前までは順調に来たが浦和ー所沢線に入ると車の流れは悪くなった。所沢インターを超えると渋滞になった。すると息子が運転手に裏道を指示し、なんでこんな裏道を知ってるのかと思う道を選んだ。しかし1車線だが対向車が殆ど無く自転車とすれ違う道で、運転手は緊張しただろうが、息子は友達の家に行くときの道だし、以前務めていた会計事務所時代の客先に行く時に覚えた道だと言った。そんなことから時間的には昨日と変わらず料金も10880円の同額だった。
家につくなり風呂に入りすぐに寝た。
何か両親を送り出し、自分の勤めは果たしたという安堵感が湧いてきた。
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