とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

初めて脳ドックを受ける。

2011年08月19日 | 病院
 毎月、肝臓と腎臓の診察を受けている先生に、最近右手の指先にしびれが出ると話すと、高血圧と頸動脈に動脈硬化の兆候がみられるので、1度脳ドックを受けてみてはどうかと進められ、メディカルスキャニングお茶の水を紹介され、手続きをしていただいた。当初から夏休みを当てることで休暇をとったが、はからずもオフクロの入院騒ぎで、今年のも夏休みは病院通いとなった。
 首都圏に14箇所のMRIの検査専門の診療所?だった。いずれもが駅至近の場所にあるのでまた驚いた。癌研の有明病院にしろ、オフクロが度々お世話になる西大宮病院にしろ、民間の医療機関の設備の近代化と手続きの合理化には驚かされる。
 MRI検査はこれまでにも自慢にならないが何度も受けたが、脳のMRI検査は初めてだった。予約制のことと、造影剤の必要のないことから30分足らずで終わったので、いままで受けたのとはあまりにも早かったので気が抜けてしまった。
 耳栓がわりのヘッドフォンを着用したが、音だけは今も以前の変わらない不快な大きな音だった。
 診療所を出ると外は猛烈な雨脚だった。本来ならば地下鉄利用で帰宅だが、地下鉄の運行が危惧されたので、目の前のJRの御茶ノ水駅から秋葉乗り換えの山手線で池袋に出て帰宅した。
 家に帰り我が身の受けている医療環境とこの度の震災後の被災地の現状の医療環境のあまりの格差に言葉の出ないある種の政治に対する憤りを感じた。
 ほんの数年前に日本国民は熱狂的に「小泉政権の民でできることは民に、そして小さな政府で日本発展」を支持した。しかし政治がその前にやるべきことを意図的に忘れていた。民ができることは「少ない投資で大きな利益」が得られることしかできないことを意図的に排除していた。最新の医療機器は過疎地の病院では元が取れないのは自明の理だ。
 「民でできることは民」を叫ぶ前には、地域のスタートラインを標準値にする政府の施策が必要だったはずだ。
 今原発が問題になっているが、これこそが地域格差を政治が認めている最たるモノだろう。原発問題の初期に「原発が安全で、コストパフォーマンスが抜群に良いのなら、なぜ関東地区、それこそなぜ都庁の下につくらないのだ。」と言う提案があった。
 電源立法はなぜ「過疎地」を指定したのだろうか。東京の一極集中を政治的に解消できなくて補助金を握ることが政治家の仕事と勘違いして、お涙金を地方の自分の選挙区にばらまくことで当選した政治屋を排除して初めて、東京の一極集中を解体し地域の均衡の取れた政治ができるのではないか。その意味でも地方の国会議員を選ぶ地方の選挙人の資質が問われる。
 震災復旧が進まない現状は、地方で選ばれた国会議員の正に力量ではないか。
 どうも「脳ドック」を受けて、思考が狂ってしまったのか、あらぬことを書きなぐってしまったようだ。それにしても「職業としての政治屋」があまりにも多すぎる。復興財源は市町村、県議会。国会議員の歳費半減で賄うべきだろう。それこそが国難に対処した政治家のとるべき態度だろう。  


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