とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

ミュンシュのモーツァルト交響曲36番リンツ、38番プラハのDVD 

2012年03月10日 | ミュンシュとマルケヴィッチ


 このところ定期的に好きな指揮者であるシャルル・ミュンシュのDVDがLEGACYシリーズとしてicaレーベルから売り出される。そのたびに宅急便が来るたびにカミサンから嫌味を言われながら(CDは買わないと宣言したが、DVDは違うと言い訳しているのだが)楽しんでいる。 
 今月はブルックナーの7番の時と同じくらいの驚きでモーツァルトの”リンツ”と”プラハ”の交響曲を聴いたのだ。
 商業録音として彼はモーツァルトは2つしか残していない。フィガロの序曲とベニーグッドマンをソロにしたクラリネットコンチェルトだがもちろん私はLpでも所持しているが、今から思えば、このDVDのすばらしさから、なぜRCAは録音しなかったのか不思議だ。実際には彼の音楽にマッチしているゴージャスな響きが冴えるプラハは彼の常任時代には31回もコンサートに取り上げているとのことだ。41番が何処かに残っていないのかと思いたくなる。
 そう思うと当時のRCAの看板のトスカニーニもライナーもモーツァルトの録音はCBSのワルター、セルに比べ極端に少ない。「会社の方針」だったのだろうか、今思えばRCAの営業を恨みたくなる程のミュンシュのプラハは素晴らしい。
 とにかくスケールが大きく音楽自体がダイナミックだ。プラに比べるとリンツの方は少し型にはめ込んだ優等生的な音楽になっていてミュンシュとしては平凡かなと思ってしまう。

 好きなモーツァルトだけにDVDだけでも手持ちは多いが両方を残しているのはカール・ベームとウィーンフィルだが、これはCDのほうが、ベームの絵にならない指揮ぶりが無い分よろしい。今思うとなぜベームの来日が大騒ぎになったのかがわからない。


リンツに限れば、やはりクライバーだろう。映像の作りがプラス効果だ。カール・ベームとは正反対で映像が音楽に躍動感を与えてくれる。DVDは目でも楽しむものだ。



 プラハ交響曲の持つ華やかさが「ハレ」の日にふさわしいのだろう。どうも記念イベントコンサートに良く取り上げられる。
モーツァルト没後200年記念コンサートでは、クーベリックとチェコフィルが取り上げている。このDVDはお買い得。芸術の世界には「コストパフォーマンス」は無用だが、新世界とフィルクシュニーのピアノでのK.503のコンチェルトの抱合せは楽しいコンサートが味わえる。しかもコンサート会場はプラハだ。
 

 同じく没後200年記念ではシャンドル・ヴェーグとウィーンフィルの演奏がNHKで放映され、VTRで録画したものをDVDに保存したが、久しぶりに取り出したがあまり良い出来とは思えない。

 生誕250年記念コンサートではD.ハーディングとウィーンフィルのガラ・コンサートが楽しめる。ドンジョバンニ序曲に始まり、ネトレプコ、プティボン、ハンプソン、パーペとスター歌手がアリアを歌い、最後がプラハで締めくくる楽しいコンサートだ。
 それぞれの出来も素晴らしく正にガラコンサートだ。


 同じく250年とジルベスターコンサートを合わせたのが、ラトルとベルリンだ。
 これもNHKの衛星放送での生を録画したのをDVDで保存したがこれも楽しい。ただしこちらのプラハはプログラムの真ん中で、ウィーン対抗したのか、締めはフィガロのハイライトで、最後のアンコールがK.618のアヴェ・ヴェルム・コルプスだ。
 モーツァルト好きにはたまらないコンサートだ。

 ミュンシュが出るまでは、私の好きなプラハは、マルケヴィッチの指揮するものだ。CDはベルリンフィルだがDVDはフジTVアーカイブで放送されたものをDVDにしたもので、1968。2.29に東京文化会館で旧日本フィルとの演奏だ。この時は前半がプラハで後半が春の祭典だった。これは日本フィルの歴史的名演奏だと思う。ミュンシュとは対照的にそれこそ1音1音を精緻に積み上げた音楽で、モーツァルトもストラヴィンスキーも音楽の原点は濁りのない音から作り出されることを示した演奏だ。
 ミュンシュとマルケヴィッチは正反対に思えるが私の好きな指揮者だ。


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