バーンスタインはトリスタンとイゾルデの前奏曲は、ベルリオーズのロメオとジュリエットの「ロメオひとり」の場面の音楽のパクリだという。確かに彼の弾くピアノからは納得させられた。しかしベルリオーズから20年後のトリスタンはロメオとジュリエットのチェムスキーの言語論で言う隠喩であると結論づけるのだ。ベルリオーズの音楽は表層構造で、ワグナーはその深層構造だと。そして演奏後、自らの演奏を「非常に遅い演奏でした。しかしワーグナーはゆっくりと演奏すると指示していました。これでいいのです。」と述べた。しかし、私にはやりすぎに思えた。実際には、イゾルデの歌い手がそこまで伸ばせるだろうか。
トリスタンとイゾルデの「前奏曲と愛の死」と題されて演奏されたのは、いつごろからなのだろうか、今回私の手持ちメディアではどこにもそのことには触れていなかった。ただマルケヴィッチのJimmy盤(スェーデン製)にはConcert version by E.Humperdinck との明記がある。したがってワーグナーの生前からこのような形でのコンサートは行われていたのだろう?。
私が最初にこの形で聞いたのはいつかは記憶にない。ただ手持ちのLP時代にはなく、1976年にバイロイトの実況録音のLPが売り出されるのを機に其の宣伝用にサンプラーLPが売られ、其の中にトリスタンがあった。しかしそれはカール・ベーム盤で2幕のトリスタンとイゾルデの愛のデュエット」が含まれていたため正確ではない。
以下が現在の私の手持ちだが、参考として「愛の死」のイゾルデのアリアだけも加えた。
マルケヴィッチは好きな指揮者のため正規録音がなくマイナーレーベルを漁り求めたが、多少演奏時間に違いがあり演奏楽団の表記も違うが、2種類は同じ音源と思われる。彼はワーグナーを好みトリスタン以外はいくつか正規録音がのこされている。いずれもトスカニーニのような音楽作りで輪郭を明確にした音楽だ。日本フィルとの映像を見ると、トスカニーニの映像ににている。DANTE盤はそれなりに音は聞ける。
ザンデルリンク盤は偶然だがトスカニーニの演奏時間と同じだ。またムラヴィンスキーも音楽作りは似ている。しかもトスカニーニもマルケヴィッチも反ナチスで戦っていた人物が、ヒットラーが愛してやまなかったワグナーを見事に演奏している。いずれもバイロイトへの招聘を断ったのも因縁か。
NHKの録画の中では、ジェームズ・レバインとベルリンフィルのコンサートがすばらしい。ワルトヴューレの野外コンサートでの夕日が消え入る様を音楽にシンクロさせた映像が音楽同様の美しさを作り出していた。
其の正反対がロリン・マゼールとウィーンフィルのシェーンブルグ宮殿の野外コンサートだ。ワグナー、ベルディーの生誕200年にかけた観光イベントが雨にたたられそれでも続行した悲惨な模様が映し出されていた。
イゾルデのアリアつきでは、意外とミンシュが楽しめる。トスカニーニとフルトベングラー(ちなみに全曲から同部分を取り出した演奏時間は18:01)を足して割ったような演奏でスケール感のあるそして激しい振幅のある演奏でバーンスタインの言うところの「曖昧さ」を吹き飛ばす演奏がすごい。
今回続けさまに聞いていると、従来かび臭い演奏と思っていた、クナンパーツブッシュの演奏が推進力のある演奏で熱い演奏だった。NHKの録画ではザルツブルグ祝祭歌劇場大ホールに響き渡るジェシー・ノーマンの響きに驚き、バイロイトでのつまらない演出の片棒担ぐテーレマンのバイロイトのワグナー生誕記念演奏会が、すばらしかった(多分にウエストプレークの美貌と美声によるが)。
それにしても全曲がすばらしいだけでなく、たった20分弱の中に、バーンステイン言を聴き西欧音楽史の変遷が凝縮されているすごさを改めて知った思いがする。
全曲についての「トリスタンとイゾルデ」のMy blogは下記に述べています。
http://blog.goo.ne.jp/yyamamot7493/e/2d7d4bc897f7f61a9a7348d9ae4299fa
http://blog.goo.ne.jp/yyamamot7493/e/204792cb51c2e7a6644af3b6363f11b4
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