とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

神田は中華の町

2006年09月02日 | Weblog
かみさんが母親看護のため実家に戻った。約1週間外食を余儀なくされた。勤務先の神田小川町界隈はまさに勝手知ったる生まれ育った庭でもある。それだけに、隅々を知っているとの自負もあるし、雑誌で取り上げられる古くからの老舗もあり、大学に囲まれた町だけに学生相手のそれこそどんぶり飯を出す食堂も数多くある。食べるところには不自由はしないと思ったが、友人を呼び出し酒を飲むなら1週間のメニューをセットするには訳が無い。しかしいざ酒を抜きに純粋に夕飯を食べるとなると選択肢は限られる。そんな時あたりを見回すと、全国を網羅するチエーン店がやたら目に付くようになった。昔からある店はとなると、蕎麦屋、寿司屋、神保町と三崎町の食堂と絞られる。しかし靖国通りの裏に入ると中華飯店の看板がやたらと眼に付いた。もともと周恩来ゆかりの漢陽桜はじめ新世界采館等名店はあった。横浜、神戸、長崎の中華街のような軒を連なる状況ではないが、それこそ小規模な店が数多いのに気付いた。靖国通りのスタートと言うべき須田町の天府はそれこそわが仲間の社交場として定期的に利用しているし、旧鎌倉町の千代田飯店はちょっと贅沢をするときの愛用の場所だった。東京の中華はもともと新橋~虎ノ門、九段下が相場だが、神田靖国通りも中華の町と言える。神田はニコライ堂の関係でロシア料理もあり、カレーはよく雑誌で取り上げられる。これでブラジル料理が加わるとBRICs地帯となる。今度商工会議所千代田支部にブラジル料理の誘致を提案して挙げよう。ちょっと神田から離れるが、日本橋小伝馬町にある偕楽園は少し前まで石炭を焚いて調理していた先々代が天皇家の料理人を務めた本格派の店だ。しかし味より安さの優先するチエーン店のワンコイン攻勢に「店をたたもうかと思うよ」と弱音の言葉がでるが、「味を守れば客は戻るよ」と励ましたいが現実は人工調味料で着色されたコンビニの食事で慣らされたものには、価格勝負のチエーン店の勢いは止まらないのかなと、そんなことを思いながら淡路町の「天ぷら いもや」のシャッターが上がらないので神田の中華飯店で夕食を取った。


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